このブログでも何度か書いてきた両親との関係。
親のほうは何とも思ってないかもしれないけど…私の人生のテーマはそこにあったんじゃないかってくらい、『両親との関係』は私の人生に影響を与え続けてきたもの。
これまでも、少しづつ境界線をひいたり、客観的に距離をおいて観察したりしながら、親からの影響を脱ぎ捨てていけてる感覚があって。
昨年、親と会わないって決断した時には、そこがゴールと思ってた。
ところが、まだまだそこは途中だったらしい。先月になって、あぁ、、、本当に解放されるってコレだったんだな〜と知ったのだ!
親と会わない決断
2019年の私や家族にとって人生の転機だった。
義理の父を見送り、
我が子のような愛犬も虹の橋を渡った。
苦しいことも多かった分、
人生のこととか、これからのことを真剣に考えるきっかけになった気もする。
普段から無理してることや
我慢や義務感でやってることも
ぜーんぶ手放してリセットしたくなった。
だから罪悪感も義務感も手放して
親から自由になることも親不孝も
自分にぜ〜んぶ許可する!!
と決めた1年前。
2020年のお正月に、恒例だった実家への新年の挨拶を思い切ってやめた。
もちろん、私にとっては簡単な決断じゃなくて、それはそれで謎の罪悪感とか恐怖感に襲われて、必死の思いで『帰省しない』をやり遂げた1年前の私。
(その時の過去記事はこちら)
実行してみたら、不安に思ってたのが嘘みたいに、心が軽〜く♪なって、やっと親の呪縛から自由になれたと思った。
今まで自分を縛ってたのは自分自身やったかも?と気づき、両親との問題はもう乗り越えられた♪と、上機嫌になって自由を満喫した。
(その時の過去記事はこちらから)
もちろん、それなりの現実の変化も、両親との関係性の変化も実感として受け取った。
自分の意識が変われば、現実の父親との関係も変わってしまうことを体験した。
もうこれでゴールだ!と思ってた。
(過去記事はこちらから)
はずだったんだけど、、、
実は、まだ続きがあったのだ!!
「親と会わない」選択と決断の先に、『本当にそれで良いの?これでも会わずにいられるの?』と、お試しがちゃんと準備されていたのだ。
覚悟を試す「揺り戻し」体験
2020年の秋になって、病気なんてしたこともなかった母に病気がみつかり、手術することになったと連絡がきた。
私を試しているみたいに
また罪悪感が押しよせて
感情を揺さぶられてしまったのだ。
手術する母にも会いに行かないの?
ほんとにそれでいいの??
『会わない』って決意が揺らぐ。
また、苦しい親の呪縛の中にポイッと放り込まれた気がした。
いろいろ悩んで苦しんだ。
だけど、もう以前には戻れない自分がいた。
結局、コロナ禍で、手術前の面会はできないと病院側の決まりもあって、術後にしか会うことはできなくて、術後に落ち着いてから母の顔を見に行くと約束したんだけど。
自分の気持ちは、正直に母に伝えた。
これまでみたいに、義務感で実家に顔を出すのはもう疲れた、、、と。
お母さんと、ゆっくり座って話す時間もないなら、実家に顔を出す意味も理由もわからない、、、と。
その時もその苦しい葛藤をブログに書いている(過去記事は
こちらから)
これは、今から振り返ると「揺り戻し」だったんだなぁ。
自分の、習慣や日常として根付いてきたものを変えようとする時、その変化が大きい時ほどこの「揺り戻し」を体験するという。
考えてみれば自然なことで、反対側に大きく揺れた振り子は、必ずもう一度戻ろうとする。自然の原理だからね、、、(´-ω-`)
だけど、必死の覚悟で決断した本人には、え?!また来た?!:;(∩´﹏`∩);:って感じだ。
よっぽどの覚悟をもたないと、あきらめて流されたくなる。
その方が、楽だもんね、、、
だからこそ、覚悟はできているのか?を確認するための、宇宙のお試しだともいわれている。
自分が長いあいだ信じてきたことほど、手放すのは簡単じゃない。
その変化が大きいほど、ものすごい覚悟がいる。
1度や2度の体験で、気づいたからって簡単にスッパリと変われるもんじゃない、、、と実感させられる。
そんなことがあって、、、
2021年のお正月は、また振りだし。
恒例の、新年のあいさつは、我が家だけパス!ってわけにもいかず、あっけなく再開された笑笑
ところが!
びっくりしたことに、
ちゃんと前進していたことを体感した。
1年前に、親の影響から物理的に離れることを自分に許可して、えいっ!!と実行に移したことは、その後の自分の心の中にものすごいスピードで変化を起こし続けたらしい。
気がついたら、父親と同じ空間にいても影響されずに自分らしく居られるようになっていることに気がついた。
苦しかった揺り戻しも、ちゃんとクリアできていたんだ!と実感できた今年の正月。
そして、これが「親と会わない」決断の先にあったゴール。
同じ空間に居たとしても、親の影響を受けずに平常心で居られることが、本当の親の価値観からの解放だったんだなと実感したのだ。
親の価値観を手放すと親の影響を受けなくなる
2021年2月。
その日は朝から家族で出かけていた。
急に携帯が鳴り、両親が訪ねてくるという連絡があった。
出掛けてるから無理!と何回も断ったんだけど、何時に帰る?夕方には帰ってるやろ?と父親が何度も電話をかけてきて。
結局、母親からの電話は無視できないと見透かされてるのか、6時を過ぎてから鳴った母親からの電話で「もう近くまで来てるから、、、」と押し切られてしまった。
私は急な予定変更が大の苦手なのに、バタバタと家に帰って予定が狂いまくった休日で。
それで、父親が来ている目のまえで、夜ご飯を作るのをサボって、近所で買ってきたジャンクフードを子供達に食べさせた。
そんなこと??って思う?
ふつうの親子関係の人からみると???かも知れないけど、、、
私は今までこんなこと出来なかった。
そんなことしたら、「いつもこんなもん食べさせてるんか!」とか「しょーもない子育てしやがって」とか責められるとわかってるから。
本当は、お出かけした日くらい、外食したって出来合いのものを買ったって、なんだっていいやん!ってのが私の本音(だって、普段ちゃんとやってるもん!)
今までの私は、自分の本音に自信が持てなかった。
父親の前では強がってた。
弱みを見せたくなかった。
父親に口出しさせないくらい
完璧にやってやる!って思ってた。
子育ては支配することじゃないって証明してやりたかった。
父親とは違う子育てで成功して見返してやりたかった。
振り返ってみると
そう考えること自体が
父親の影響を受けている
ことの証拠だったのだ!
自分の内側にいつも
大嫌いな父親を住まわせて。
父親の価値感に縛られて。
父親に認められたい
もっと評価されたい
って、ずっとずっと父親の価値観の中で生きてきてたんだ。
親の影響を受けないってことは、『会わない』って選択をできることじゃなかったんだな。まだその先があったんだ。
会っても
会わなくても
同じ空間にいても
居なくても
相手に影響されずに
自分らしく
平常心でいられることだったんだ。
長い長い道のりだったけど、会わないと決断してからの1年は、ものすごいスピードで現実が変化した。
そこがゴールと思ってた。
でも違った。
物理的に距離を置いただけで
精神的にはまだ親の価値観に縛られ続けてたんだから。
今からあの頃を振り返ってみると、同じ空間にいると影響されてしまうから、同じ空間に居ないことを選択した、、、ってだけだったことがわかる。
親の評価を気にするのは親の価値観に縛られ続けてる証拠だったんだ。
今では、
親に認められても
認められなくても
どーでもいいと
思えるようになった。
忙しかったからって言い訳も
いつもはちゃんと作ってるって説明も
何も必要なかった
こんなちっぽけなことだけど
私にとっては大きな変化で
はじめての経験だ。
やっと親からの承認が
必要なくなったってことだろうな。
親からの評価は
私の価値とは関係のないこと。
私にとって大切なのは
自分がどう感じるか
何に心地いいと感じるか
それだけなんだって。
それが、親から植え付けられてた親の価値観をやっと手放せたってことの証だったんだと実感した。
私の意識が変われば関係が変わる
大人になってからも
小さい時からの習慣で
父親のことが怖かった。
怒鳴られるんじゃないか?
機嫌悪くなるんじゃないか?
いつもいつも先回りして心配してた。
大人になって、母親になってからも、父親のことが大嫌いなのに、やっぱり父親の評価が気になった。
私の娘たちにも、父親(娘にとってはおじいちゃん)に褒められて気に入られる、お行儀のいい自慢の孫でいてほしかった。
私の娘が父に認められることは、私や私の子育てが認められることだったからだろうな。
だから私は、父親の前ではピリピリしてた。
娘がちゃんと大きな声で挨拶できるか?
娘がお行儀よく静かにできるか?
娘が残さずきれいに食べれるか?
娘は私の父親に褒められる良い子か?
そんな父親の子育て方針が嫌いで、
自分は父親を認めていないのに、、、だ。
それが、今ではそんなことはどうでも良くなった。
うちの子が私の父親が気にいるいい子でいる必要はないって思えるようになっている。
おじいちゃんの前で良い子にする必要も、気に入られる必要もない。
そのままでいい。
うちの娘のことは、親の私がよく知ってて、認めてるし尊敬してるし大好きだから。
それだけでいい。
そう思ってるからだ。
私の父親が娘のわたしに厳しかったように、孫にも服装とかメイクとか髪型に口出しして、自分の好みを押し付けてくるのは昔から変わらない。
でも、そのことになんの反応もなんの感情も起きなくなった。娘にも、別に気にしなくていいよ〜と言えるようになった。
高校に入って、髪を染めて化粧をしている長女に、テレビ電話で『お前!化粧してるんか?何やその髪は!』という父。
娘の私にも、「あいつは高校生やのに何で化粧してるんや!親やのにお前はそれで良いと思ってんのか?!」と問い詰めてくる。
以前の私なら、心が乱されてたと思う。
娘に腹が立ったか、過干渉な父親に腹が立ったことだろう。
今はもう違った。
感情を乱されることはない。
『そのために受験勉強頑張って校則のない高校に入ったんやし、校則違反でもないのに何があかんの?別にいいと思うけど?』と言えるようになっていた。
父親に「お前は、、、親としてそれでいいと思ってるんか?」みたいに言われても、平常心でいられる。
『見かけが派手でも、勉強も提出物もやることはしっかりやってるし、やることやって自由満喫してるなんてカッコいいやん。なんで高校生が化粧してたらあかんの?』と私の本心を伝える。
『また化粧とか髪型とか文句言われるから、今日ワタシはパス〜』って言ってたわ笑笑
口うるさいから、もう寄り付かんのちゃう?と。
そしたら!
これまた不思議なことに、、、向こうがあっさり折れた。
「父:もう、口うるさく言わんから、たまには遊びに来いってよろしく言っといてくれよー、、、」なんて。
それから本当に、うちの娘の髪色にも化粧にも服装にも、いっさい文句を言わなくなった。
ちなみに、相変わらずうちの長女はうちの父親からめちゃめちゃ可愛がられている。
ほんと、不思議なもんですね。
こんなふうにして
何も変わってないのに
すべてが変わっていく、、、
そんな体験をしています。
やっぱり、現実は
心の中から始まってるんだな〜。
そんなことを実感しています。
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KAKA