つい数か月前まで、自分にはあの人を一生許すことなんてできないと思ってた。
許したくなんてなかった。
何のために許すのかわからなかった。
許し方もわからなかった。
もう許してたんだと知るまでは、、、。
許す(赦す)ってどんなこと?
「許せない」と思ってたあの人。
だって許すってことは、
何事もなかったように笑顔でこれからも関わり続けることだと思ってたから。
そんなの無理に決まってる。
できれば顔も合わせたくない。
同じ場所にもいたくない。
私のことを見てほしくもない。
絶対に言葉なんて交わしたくない。
要するに、
大嫌い。
こんりんざい関わりたくない人。
私とは関係のない場所で生きてくださいと願っている。
私の人生に、もう入ってこないでね。
永遠にさようなら。
そんな気持ち。
こんな心の狭い自分には、
誰かを赦すことなんてできっこない。
ゆるすってどんな状態のことかわからない...そんなふうに思ってた。
今日、突然に気が付いてしまった。
もう許してたんだってこと。
赦す(ゆるす)って、
これまでどおり笑顔で接することじゃない。
「ごめんね」『いいよ』って仲直りすることじゃない。
聖母マリアのような気持で、あの人の幸せを天に祈る必要もない。
もう関わりたくないと思ってていい。
嫌いなままでいい。
それで良かったのか、、、
私はもう関わらんけど
まったく好きになれんけど
ちっとも理解もできんけど
自分とは考え方も、価値観も全然違うし、心底めんどさ〜と思うけど。
あの人が幸せだろうが
あの人が不幸だろうが
どうでもいい。
これからも嫌いやし、
理解するつもりないし(しつこい?!)
器の小さい自分には許せないんだよな〜ごめんよ。
もう私に関わらないでくれたらそれ以外何にも望まんわ。あんたの自由な人生を好き勝手に生きればいい。
ただ望むことはひとつ。
私の世界から消えてくれ。
サヨナラバイバイ♪
私と関係ない世界で
ご勝手にどうぞ〜。
それはもう、
許していたのだと知って驚いた。
な〜んや。
これでよかったんか。
これが許すってことやったんか。
許すとは違いを認めること
ゆるすって、神様みたいに優しくなることでも、自分が責められても穏やかな笑顔でほほ笑んでいることでも、右の頬を打たれたら左の頬を差し出すことでもない。
、、、、と思う。
大嫌いなあの人が、
あの人のまま、
あの人らしく、
自由な人生をおくることを認めること。
理解できなくていい。
理解しようと努力する必要もない。
ただ違いを認めるだけ。
あの人はそうなんだな〜と。
そんな人もいるんだな〜と。
ただ違いを認めるだけでいい。
どこまで行っても平行線で交わらない。
相手の考えを変えようとすることも
自分を変えようとする必要もない。
違いを事実として認める
ただそれだけでいい。
動物園の檻の外から眺めて観察するように、
「へ~。こんな動物もいるんやな。面白い。ちょっと理解できへんな笑」と思えたら、それで十分。
自分とは違う世界でご勝手に〜♪(´ε` )
そう思えたならもう、許せているし、乗り越えられていると思う。
許す=自分自身が解放されること
許せていなかったときは、今よりずっとずっと苦しかった。
ズルいやつは許せない!
正義は勝つ(はず)!!
罰が当たるに決まってる!
悪事はバレるに決まってる!
あの人が幸せになるなんて許せない!!
そう思いながら、大嫌いなアイツと同じ世界に居続けた。
許せなかった!!
終わったことと、割り切れなかった。
あの人が不幸になってほしいと願った。
バチが当たれと念じた。
正義は勝つと信じたかった。
そして、
そう思っている間は、
いつもいつもずっと、
自分も同じように苦しくて不幸だった。
だから、
私が自分の人生を見はじめた時
私の幸せにも不幸にも
他人(アイツ)は関係ないと思えた時
やっと私も苦しみから解放された。
今も相変わらずあの人のことは大嫌い。
だけど今はあの人と道ですれ違っても
心に小さな波さえ起こらない。
私の心はとっても平和。
あの人が、相変わらず念を送るように睨んできても、憎悪のような渦巻くオーラを背負ってても、もう私には届かない。
私がその波に飲み込まれることはない。
私とあの人の間にはもう
ちゃんと見えない壁がある。
あの人の憎悪の波は、あの人自身を飲み込むだろうけど。
それはもう私とは無縁のもの。
あの人が幸せになったっていい。
あの人が不幸になったっていい。
どっちでもいい。
許すことは自分が楽になること。自分が苦しみから解放されること。
バイバイMさん♪
引き寄せの法則がわかってきた!スピリチュアル好きを内緒にするのやーめた。 - でこぼこーど
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