自分らしく生きられてない時
何かに行き詰まったとき
『今までの自分とは違う選択』をしてみると良いってよく聞く。
自分らしくない人生とか
行き詰まった状況を作った原因は
過去の自分の選択にあるんだからってのが理由。
そりゃ〜ごもっとも!!
そこで、このブログを始めたころの私は、周りの空気を読んで気遣いするのをやめることにした。
自分の本音に正直に、、、
選択のためにはっきり意思表示するって、私にとってはすごく難しくて、、、
慣れるまでは正直きつかった。
でも、それまでの周りの環境とか人間関係にも変化があったし、すごく楽になった♪
ただ、それでも心のモヤモヤまでは解消できなくて。いくら自分らしい選択をしたとしても、関わるだけで心乱されてイライラさせられてモヤモヤする人って居るよなぁ〜って感じてた。
で!!!
最近気づいてしまった!!
本当は「今までとは違う選択」って対立した反対側にあるんじゃなくて、土俵をおりた外にあったんだってこと!!
そんな、自分らしい幸せのための選択の話です。
「今までと違う選択が人生を変える」の意味
ってわけで、、、このブログを始めた頃の私は
ちょうどその今までとは違う選択に意識を向けて取り組みはじめたところでした。
具体的には、、、
自分の気持ちに正直に!
気を遣ったり
相手に合わせたり
まわりのことばかり考えて
自分の気持ちを無視するのはやめると決めた。
恨まれようが嫌われようが
はっきり断る!
嫌なことはやらない!
NO NO NO!!
って、そりゃぁもう極端にね!
真反対に振り切るようなやり方で(^◇^;)
たしかにまわりの環境は楽になった。
モヤモヤする人とは会わないでいいし、
やりたくないことはやらなくていい。
そう自分に許可できるようになった。
でもそれだけでは解決できないモヤモヤもあった、、、
プライベート意外でも、どうしても関係を切ることが難しいめんどうな人はいるわけだし。
そんな相手には、自分を貫いても相手に巻き込まれても、後味の悪さとかモヤモヤは常に付きまとう。
このモヤモヤはどうにもならんのか、、、?!
それを続けてるうちに
ある体験からふと腑に落ちる感覚があった。
もしかして今までの自分と違う選択って、反対側じゃなく別の場所にあるのかも?
あなたとわたしの関係っていう選択基準や、
私の立場や世界との関係って選択基準の中には
正解がないのかもしれない、、、
〇〇 対 わたし、、、
その対立の土俵からおりてみる。
ただ私と私の心の関係だけ見つめて
私と心が調和できる選択をする。
「今までと違う選択」は
反対側を選ぶことじゃなかった。
今までと違う選択の意味は
選択基準を外側から内側に変えることだったんだと知った。
↑仕事帰りの空に彩雲🌈
対立の土俵から降りる
人間関係のトラブルって晴天の霹靂っていうか、運悪く当たられたもらい事故的な要素も強いなぁって思う。正直、避けるの難しいわ〜
このブログをはじめる直前のこと。
あるワガママなママ友に振り回され、とんでもない人間関係トラブルに巻き込まれた。
このトラブルメーカーのママ友さんみたいに、話し合いとか譲りあいでお互いが気持ちよく納得できるような※折り合いのつけられない人ってのがいる。
※折り合いをつけるお互いの意見が違うとき、それぞれが少しずつ譲歩してお互いが気持ちよく納得できる答えをみつけること
その場合、揉めたくなければこちら側が折れたり譲ったりするしか道はない。
それがイヤなら対立してNO !を押し切るしかない。
要するにそんな相手には
選択肢は白か黒しかない!
自分が勝つのか。
それとも負けるのか。
ズルい人とか支配的な人に利用されるのはもうまっぴら。
そんなら勝つしかない。
そんなら100を取るしかない。
だから、折り合わない相手なら、はっきり断る・NOだ!!って覚悟を決めた。
が!!
もちろん、断ろうが、勝とうが、そんな奴と関わってしまったら後味の悪さは変わらない。
なんかおかしい、、、⁈
それからやっと最近になってある気づきの体験があった。
実は、人との関わりのなかで、YESか NO なんてそんな極端な選択に迫られることって意外と少ない。
自然とお互いが譲歩したり気遣ったりして折り合いをつけるのが健全な関係やもん。
極端な2択の状況に追い込まれるのって、その相手が一方的に自分の都合を押しつけて曲げない人の場合に限られる、、、。
つまり、、、
その相手の土俵にはいつも
対立の答えしかない。
一方が勝ち、相手が我慢する。
一方が主導権をもち、相手は従う。
一方が得して、相手が損をする。
それって実は
YESを選んでも地獄で、
NO を選んでも後味が悪い。
反対側を選択しても結局は同じでしかない。
今までと違う選択をしたいなら
その選択肢は対立の土俵を降りた外側にしかないってことだ。
でもどうやって?
相手と対立する土俵からおりて自分の心と向き合えば「自分の心がおだやかな、自分が心地よくいられる選択」が見つけられる!、、、という体験をしてやっと腑に落ちた。
自分の心なんだなぁ。
現実は同じでも、そこにはモヤモヤが晴れて自分自身が納得した『心地いい』があった。
体験して腑に落ちた「自分が心地よくいられる選択」
実は、わたしにとって昔から折り合いをつけることができないタイプの人が、わたしの姉です。
封建的な考えの親だったから、姉ってだけで権力があって威張ることが許された子ども時代。
子どもの頃の私は、いつも黙って姉の意見に従うしかなかったし、姉のほうは今でもそんな感覚らしい。もういい大人なんやからええ加減にかんべんしてほしい、、、
今では顔を合わすのも年に一度くらいやし。
とくに問題なく過ごしていたんだけど、、、。
去年の夏のおわり。
姉から、長女の結婚がきまった〜って連絡があった。
そりゃあメデタイなぁ〜🥳
ちなみに姉の子どもたちめっちゃ素直で優しいし
ほんとにええ子💕なんです
ところが!
結婚式のことでモヤモヤ〜がはじまった。
姉が「親族やから留袖着てきてな」と言う。
妹が「嫁ぎ先で色留袖あるから借りれるわ!お姉ちゃん(私のことね。)のも借りとくな〜」と言ってくれる。
ところが、、、
姉は「色留袖は格が低いからあかんやろ?」というのです、、、。
「親族は五つ紋の黒留袖じゃないと非常識や」と。
う〜ん、、、🤔
念のため言っとくが、、、
ある地域で、、、とか
代々続く旧家で、、、とか
お家柄によってはまぁそんなこともあるだろうとは思う。
でも、うちの家系は、、、
そんなん聞いたことない!!
もちろん嫁入り道具に留袖持たせてもらってるとか持ってるなら二つ返事で着て行きますけどもっ💦レンタルするとなると着付けやヘアセット込みで私の衣装だけで五万近い出費になる、、、
家族で出席となると子どもたちの衣装もそろえないとやし、、、なんだかんだで20万円😱なかなかの出費になるから、できれば私の衣装レンタル代にはお金かけたくないってのが本音、、、。年齢的にもこれからどんどん甥も姪も控えてるしね。
とりあえずちょっと保留で
と返信をして様子を見ることにした。
そうするとすかさず電話が鳴る!!
「私は留袖なんかどっちでもいいねんで。」と姉。
「両家の親族がみんな黒留袖やのに、ひとりだけ洋服やったら、、、あんたが恥かいたり居心地悪いんちゃうかと思って心配してるねん。」、、、と。
え、(´⊙ω⊙`)!!!
気にしてるのはお姉さまの方では??
なんかね〜
言い方ってあると思うんですよね。
すでに"貴方のために"って言葉が、本当にその人のためやったことってない気がするし、、、ね。
正直、私は本当にそんなの気にならなくて。
黒留袖じゃなくても非常識やと思わんしね。
「着物の格」とか、、、
体裁気にする姉らしいなぁと思っただけで。
せめてね、『負担かけて申し訳ないねんけど、なんとか黒留袖であわせてもらえへんかな?』とかさ。せめてね、、、。そういう言葉なら、しゃーないなぁって折れてたかもしれんねんけど。
これは、姉の言い方の問題かもしれないし、、、それとも、わたしの中に子どもの頃からのわだかまりがあるせいかも知れないけど。ちょっとキツイわー。
きっと昔の私なら、、、
自分の意見は置いといて
姉の要望通りにした。
このブログを始めてから「はっきりNO !!」をスローガンに掲げてる私としては、洋服か妹の持ってる色留袖で行くと言ったはず。
でも、これは姪っ子の晴れ舞台。
変に揉めたり心配の種をつくりたくはない。
気持ちよく祝ってあげたい!
だからモヤモヤ、、、
それならお金かかっても
気持ちよく黒留袖レンタルしてしまおうか?
でも働きもせず専業主婦の私。
めちゃめちゃ裕福でも余裕があるわけでもない今の状態で、働いてくれてる夫の稼ぎからデデーンと当たり前のように出費するの?
と、、、やっぱりモヤモヤ
と、まぁ、
どちらを選んでも心がモヤモヤする。
どうも気持ちがスッキリしない。
そこで、自分なりに納得できる譲歩案を考えた。式には夫婦だけで出席にしようと決めた。
子どもたちの衣装代や式の食事代をおさえれば、その分で留袖レンタル代がまかなえる。
だけど姉は「なんで?そんなこと言わんとみんなで来て祝ったげてよ〜」という。
もう堂々めぐりで出口が見つからない。
どうすればこのモヤモヤが晴れるのか?
どこに出口があるのか?
私は何にモヤモヤしてるのかなぁ、、、。
ご祝儀じゃなく、体裁のための衣装レンタル代が無駄だと思ってるんだ。
必要ないと思ってるお金を、夫に出してもらわないといけないのが申し訳ないんだな。
だけど、一方では姪っ子の晴れ舞台を気持ちよく祝福してあげたい気持ちもある。
その解決策はなんだろう、、、?
そのぶん短期のバイトでもしようかな?
そう思いついたとたんにふと心が晴れておだやかになった。
留袖のレンタル代を出すのは変わらない。
でも、夫に出してもらわなくていいなら私だけの問題だと。(ちなみに、夫はどちらにもこだわり無く私の意志を尊重してくれるだけなんだけどね。)
それだけでわたしの気持ちが楽になった。
姉と私の対立じゃなく、、、
人のことは置いといて。
私自身が何が嫌で、どうすれば納得するのか。
自分の心をおだやかに保つこと。
ただそこだけでよかった。
答えは自分の中にあるんだな、、、そう実感した。
後日談、、、
笑い話だが、、、その数ヶ月後に留袖のレンタルとか着付けの予約をする段になって、姉から連絡が来た。
「相手方の親族は黒留袖じゃないらしいい、、、」と。
どないやねん😅😅😅っっ!
結局わたしたちも留袖を着なくて良くなり。
ただ、わたしの長年の専業主婦生活からパートをはじめるきっかけになっただけの出来事でした。
あの頭抱えたモヤモヤの時間返して、、、
でもまあ、学びと 気づきの、大きなきっかけだったなぁ、、、そんな気がしています。
ひさびさに働き出してみると、気づきがめちゃめちゃあった〜、、、
罪悪感ってズレてる合図かも?って話、、、
幸せって、、、
KAKA