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   HSP専業主婦のしあわせ育児・愛犬との絆    イラストと星と気づきのメッセージ

家系のカルマを背負っている人?カルマを解放する人?

生まれる環境と人生に与える影響

生まれる環境がその人生に与える影響ってとっても大きい。

 

これはみんな多かれ少なかれ、人生で感じてきたことだっておもう。

 

生まれつき裕福で、何不自由なく買い与えられて、カネもコネもある人生なら、お金がなくて買ってもらえないことで惨めなおもいをしたり、進学を諦めたり、未来に不安と心配をいつも抱えていなくてもいい。

 

それだけでラッキー。
人生って生まれる環境によって左右される。

ちょっぴり不公平。

そう思ってた。

 

 

最近すごく感じているのは、
実は、
その物質的な影響よりももっと、
内面的な目に見えないものの影響の方がずっと大きいんじゃないかなってこと。

 

 

裕福なのか貧乏なのか?

田舎暮らしか都会暮らしか?

大家族か親ひとり子ひとりか?

そんな物質的なことよりも、もっと内面的な目に見えないもの、、、、

 

 

その家系に、代々受け継がれてきた考え方。
正しいとされる家族のかたち。
こうあるべきという義務や責任。
受け継がれてきた躾の方法。
その家族の中で重要視される価値観。

 

 

ゲーム機で言えば、それがSwitchなのか、プレステなのか、スーパーファミコンなのかというハード面ではなくて。

 

そのゲーム機の中に入って、再生されているゲームはどんなものなのか?

戦闘系なのか、脱出ゲームなのか、1面ごとにクリアしていく達成型ゲームなのか?、仲間を見つけて旅をするロールプレイングゲームなのか、、、というソフト面の影響の大きさを考えるようになった。

 

その環境が、ある程度の年齢になるまでの、その人が体験する世界そのものだから。

 

それは、物質的な要因よりも、ずっとずっと深く、ずっとずっと長く、人生に影響を与え続けるもの。

 

それは家を出て独立しても、
新しい家族を持っても、
両親と縁を切って会わなくなったとしても、
自分の中でゲームソフトは再生され続ける。

 

自分で気がついて、ゲームソフトを入れ替えるまでずっと、そのゲームの世界に囚われ続ける。

 

そして、それは自分の人生への幸福感とか満足感にも、とても深く関わってる。

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親を自分で選んできたって本当?『ある』を知るために『ない』を経験する。

誰でも、生まれてくる環境も家族も選べない。

 

そこに不公平さも不満も憤りも感じるし、『誰でも生まれる前に自分の親を決めて選んで生まれてくる』説だなんて、、、、。

 

悪いけど、自分で選ぶならもっと幸せに愛されて自由に過ごせる親を選んだはずやわ!!っなんて言いたくなる。

 

だけど、今振り返ると、確かに、、、

 

あの幼少期の想いや、感情。
満たされないもの。
手に入らなかったもの。
苦しくて悲しかったこと。
自分の安心できる居場所だとは思えなかった環境も、、、

 

その過去があったから、
必死に試行錯誤して
反面教師にしてもがいてきた。

 

その過去があったから、
必死に手を伸ばして
自分の幸せを手に入れた。


その過去があったから、
この当たり前のようなささやかな日常と、
安心できる家族という居場所にとても感謝するし、幸せと感じることができる。

 

今、ここから振り返って眺めると、、、
確かに自分で選んできたのかもしれないな、、、って気がしてくる。

 

 

子どもたちのために何をしてあげられるか、、、それだけを考えて積み上げてきた毎日だけど、今、気がつくと目の前には、自分の安心できる自分らしくいられる居場所ができていた。

 

それはとても居心地が良くて、幸せで。
子どもの頃のわたしが、知らなかった、手に入れられなかった安心感。

 

それから、やっと、これが自分が今世でやり遂げたいと決めてきたことなんじゃないか?と思うようになった。

 

 

安心できる居場所を見つけること。
無条件に愛することを知ること。
無条件に愛してくれる人がいるんだと知ること。
世界中で、ここだけは安心して信頼して自分自身でいられるって場所を見つけること。

 

 

それを経験したかったために、
『ある』を体験したかったために、
欲しかったものが『ない』場所を選んで産まれたのかもしれないな、、、と。

 

自分という種を見つけ、芽を育てる長い道のり。

産まれてから、環境からの影響で身に纏ったものは、何重にもラップでぐるぐる巻きにされているみたいに、薄くて透明で、見えづらくて、剥がしづらい。

 

その奥に眠っている、
自分という種を見つけること。

それは、親や環境からぐるぐるに巻き付けられたその影響を、1枚ずつ、丁寧に皮を剥くようにしてはがしていくように時間のかかる気の遠くなることだった。

 

きっと、ただ自分自身のためなら
頑張れなかった。

 

子どもたちに
同じものを与えたくなかったから。


子どもたちを
幸せな人にしてあげたかったから。

 

だから頑張れた。

 

 

すごく先を見ていたなら
きっと遠くて長い道のりで、
きっとここまで来れなかったな。

 

どれだけ剥がせばいいのかなんて考えたら
きっと途中でギブアップしてた。

 

ただ目の前に一生懸命に、
その目の前にある皮を剥くことだけに集中していたから。

 

知らないうちにぐるぐるまきになってた親からの影響を、1枚1枚はがして。
だんだんと息が吸えるようになって
少しずつ陽の光が届くようになって
芽を出すことなく眠っていた『じぶん』という種がやがて芽を出した。

 

ほんの小さな芽。

 

本当は、みんな幼い頃にこの種が芽を出して、自分の成長と共に育っていくはずのもの。

 

わたしの場合は、
芽が出る前にラップでぐるぐる巻きにされて。
やがて種のまま眠ってしまった自分。

 

その芽は草花のようにすぐには育たず、花も咲かず。

木の成長を見るようにゆっくりとしか育たず。それでも、15年もかければ、それなりの樹に育った。

 

幼い頃に芽を出していたら、15歳になる頃にはこのくらいの自分の樹になっていたかな?

 

わたしの場合は、子どもを産んだとき、子どもと一緒にわたしの種もやっと芽を出した。
いや、、、もっと遅かったかも?

 

長女が幼かった数年間が、親との関係にいちばん葛藤し、苦しんでもがいていたから。

 

必死にまとわりついたものを剥がして、学んで、自分を探した。

 

だから、長女と同じくらい?
それとも長女より少し小さな自分の樹。

 

それでも、今振り返ってみれば、知らぬ間にしっかり樹木になっていた。
そんな感じ。

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家系のカルマを背負っている人?それとも解放する人?

子育てがやっとひと段落して。
ゆっくりと自分の内側をみつめる時間が持てるようになって。
やっと、自分の両親や生まれ育った家系との関わりかたを違った角度から見るようになった。

 

親、姉妹、親戚、、、

この、生まれ育った家系との関わりで、何度も傷ついて、何度も悩んで、振り回されてきたわたし。

 

これは親だけの問題ではなくて、その親、またその親から、先祖代々受け継がれてきた何かなのだと感じるようになった。

 

よく言われる、家系のカルマというものかもしれない。

 

親もただなにも知らずに、
親から受け継いだものを、
子へと渡しているだけかもしれない。
無意識に。
罪の意識もなく。

だから、
親自身も、同じように傷ついて苦しんでいる人かもしれない。

 

家系のカルマを背負っている人なのかもしれない。

 

このブログを立ち上げた2019年春から、、、
自分の内側を見つめて対話するようになってから、少しずつ重荷を降ろすことを自分に許可してあげたくなった。

 

けれど、縁を切るという選択が、
罪悪感から選べないじぶん。

 

親不孝な娘になること
恩知らずな生き方をすること
子どもの頃から植え付けられた価値観に逆らうことや、世の中の常識に逆らうことが、苦しくて恐い。

 

 

心からの自分の気持ちで行動することじゃないなら、義務感で実家に顔を出し続けることや、
娘としての最低限の行動を形で証拠として残そうとすることに何の意味があるのか??

 

自問自答することが増えた。

 

やっと、もう人生も半分を過ぎたから。
もう、卒業させてね。と、
心の中で重荷を下ろしたと感じたのは、つい最近のこと。

 

 

義務感から、実家へ盆正月に顔を出したりすることもやめようと決めた。

 

 

家系のカルマを解放する役割の魂があると言うのを聞いたことがあるでしょうか?

 

家系、家族、親とのことで苦しさや問題を抱えている人は誰でも、『なぜ?』と、その理由や意味を探したくなるものだから。

聞いたことある人も多いですよね。

 

 

その家に生まれながら、
常に違和感を感じ、
理解されない想いを抱え、
苦しみと傷を負い、
それでも、まるで自分の義務のように、
家族を見捨てることに罪悪感を感じる人。

 

 

そんな特徴のある人は、
この家系に代々受け継がれてきたマイナスのカルマを解放するために来た人だという説や、その経験から自分のこととしてその苦しみや悲しみを知ることで、他の人を癒す役割のできる魂なのだという説がある。

 

 

わたしも、きっとそうなんだと思っていた時期がある。今でも、その考えを完全に否定しているわけでもなくて。

 

だけど、最近は、そんな大それたことではないのかもしれないとも感じてる。

 

ただ、わたし自身が、『ない』ことを経験することで、『ある』ことの喜びを経験したかった。それだけのことかもしれないと感じ始めている。

 

 

わたし自身の魂が、
それを知ることやそれを経験することで、
自分の中で気づき、
この家系に代々受け継がれてきた
家族の義務や支配や間違ったカタチの愛を
自分の代で終わらせることができたら。
子に受け継ぐことなく、ここで止めることができたなら、、、、。

 

ただそれだけで、家系のカルマを解放したことになるんじゃないだろうか?

 

 

家系のカルマを解放するって言葉に、ずっと責任を感じてその家系のカルマを背負い続ける必要なんかないんじゃないか?って。

 

両親の考え方や生き方を
変えようとする必要もない。
そんなことは、やろうったって絶対に変えることはできない。
それもまた、両親の自由だから。

 

親の考えを変えたり導いたりするって意味ではなく、家系の問題を解決する役割があるのでもなく、ただ、自分自身を変えること。

 

ずっと、親から子へと渡されてきた鎖を、自分のところで止めること。

 

それだけで、
家系のカルマを背負っている人から、
家系のカルマを解放する人へと、変わるんじゃないかと感じている。


それでも過去の感情に揺さぶられる

それなのに、、、、
その決心をみてたかのように、
心を揺らす出来事がやってくる。

 

母が手術するという連絡があった。

 

とたんに心が揺れて、自分の中心でいられなくなった。
いろんな感情がぐるぐるする。

生命に関わる手術ではないけど、
親はいつまでも元気でいるわけじゃないって現実を突きつけられる。

 

とっさに、手術の跡が残る前に、ゆっくり温泉に連れてってあげたいな。
それとも、夫婦2人で近場に温泉旅行でもプレゼントしようか、、、、
その考えに、覆いかぶせるように、頭の中にいる父が言う。
『手術でしばらく店も閉めることになるのに、のんびり旅行に行く暇があるわけないやろう!』と怒鳴る。

 

もちろん、これはわたしの過去の記憶から頭の中にいる父の言葉。

 

一瞬で、嫌な気分になる。
そんなこと云われた日にゃ、
一生怒りがおさまらない。
それに、そんな言葉をきいたら母が傷つく。
それなら、何も言わない方がマシ。

 

それからずっと頭の中の両親と会話する苦しい数日間。


実家に顔を出すべきか?
ぐるぐると結論も出ずに自問する日々。

 

食事に連れ出したり、温泉に連れてってあげることはわたしがしてあげたいと心から望むこと。
だけど、実家に顔を出すことはどうだろう?
わたしの心は望んでいない。



店をやっている実家では、
実家に帰ったとて、
忙しく切り盛りする母とは会話する暇などない。

 

それなら、何の意味があるのか?
体裁だけの満足?
義務を果たという自己満足?
顔も出さない冷たい娘を持ったら、母が悲しむだろうか、、、と言う心配?
そんな心の伴わない行動に何の意味がある??

 

殻に閉じこもって、
何も考えられない数日を過ごした。

 

数時間顔を出したらすむこと。
今まで通り。
その方が気楽じゃない??

 

でも、それじゃあ、また同じ。
今までと同じことを繰り返すの?
自分の決意が揺らぐ気がして自信がない。
自問自答に答えが出ない。

 

 そんな私を見かねて、ダンナがいう。
『俺はもう両親ともおらんから。あとで後悔するより、今できることがあるならやってあげればいいんじゃない?と思うだけ。自己満足でもカタチだけでもいいやんか。』

と。

 

そしたら、駄々こねする子どもみたいな自分が出てきて、自分でも驚いた。

 

涙がボロボロ溢れてきて、、、

そんなことはわかってる!
わかってるけど嫌!!
もう人生の半分も自分の気持ちを押し殺してきたのに?
まだ自分の気持ちに正直に生きたらあかんの?
自分の気持ちを押し殺してでも、
いい娘で、親孝行をやらないとあかんの?
心からの気持ちじゃないのに実家に顔出すことに、なんの意味があるの?
誰のためになる??

 

 

ダンナは、

もちろんじぶんの気持ちで決めたら良いよ。
後悔して欲しくなくて、さっきのは俺の意見。
後悔しないならそれでイイやん。

と言ってくれて。

 

私は、

後悔するかどうかなんて分からん。
いつか後悔したとしても
自分で決めた結果ならそれでいい。

そう言った。

 

やっとわずか1年か1年半のあいだ、娘の受験やら愛犬の介護やらコロナやらの理由をつけて、実家へ足を向けなかっただけで、もうあの頃には戻れない自分がいた。

 

一度決心したあとからは、もう自分の心を偽るのがこんなにも苦しいなんて。
今まで、自分の気持ちとは関係なしに、それが避けられない当たり前のこととして受け入れてきた。
本当はこんなにも実家へ行くことが自分の中で苦しくて嫌なことだったことに自分でも驚いた。
想像しただけで、泣き出すほどイヤだったんだから。

 

それでも、
ずっと心が揺さぶられて、
最後の最後まで葛藤したのは、
『自分が冷たい親不孝な娘なんだ』ってことがイヤだったのかも。
結局は、わたしのエゴなんだな。

 

数日、頭痛と闘いながら、何もする気が起きなかった。
ああ、、、そういえば、昔は毎日こんなだったな。

 

意を決して、母に電話した。
実家に顔を見に行きたいけど、
そっちに行っても店のことが忙しくてお母さんとゆっくり話せないから。
それだと、何のために行くのか分からなくて虚しい。

 

だから、これからは、
一緒に美味しいもの食べに行ったり、
温泉に行ったりしたい。
その方がゆっくり話せるから。
そう伝えた。

 

ありがとう。
手術が終わったら、ゆっくり美味しいもの食べに行こう。と、母が言った。

 

やっと心が穏やかになった。

私は、母に会いたくないんじゃないんだな。
実家に行って、ただ実家のあの厳しく支配されている空間にいくのが嫌なんだ。

 

わたしにとっては、あの実家は牢獄(は、、、言い過ぎか(・・;))不自由な鳥籠だけど。 

母にとっては、また違うのかもしれないし。
母がどんな人生を選択するのかもまた、母の自由なんだから。

 

母のことは心配せず。
幸せを願って。
自分の望む心のままに、できる範囲のことをする。
それで充分だと思えた。

 

そんな自分を許さないのは、母でもなく、父でもなく、きっとわたし自身だったのかもしれない。

 

むすび

生まれる環境は選べない。
両親も選べない。

 

そのことに、
意味はあるかもしれないし、
ないかもしれない。
それぞれ自分で見つけていくのが人生だから。

だから、自分で選びたくなったら選んでもいい。
その環境も、
その価値観も、
受け継いだ考え方も、
捨てたいと思ったら捨ててもいい。そう思う。

 

なにか受け継いだ負の鎖を、
自分の代で止めることができたら、
家系のカルマを解放したことになるとおもう。

 

自分自身でもがいてぬけ出して、
自分の幸せのカタチを見つけることができたなら、それが、どこかの誰かの苦しんでいる魂を救うきっかけになるかもしれない。

 

だけど、きっと、わたしの人生は、
誰かのための使命を背負ってきてるんじゃなく、『自分らしく幸せであること』っていう、ほんの小さな自分のための使命を果たせたら、それで上出来なんじゃないか、、、、

そんなふうにも感じている。

 

こんな長〜い自分語りを最後まで読んでくれた方がいたら、感謝します😌✨✨

 

KAKA

他にも毒親や親子関係について書いています

 

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