これが毒親の常套句だよね。
親に逆らうな。
親に口答えするな。
親を敬え。
親が決めることに理由などいらない。
親の決めることに説明など必要ない。
親がこうと言えばこうなのだ。
子は親が決めたことに黙って従えばいい。
誰のおかげで生活できるとおもってるんだ?
誰のおかげで飯が食えてるんだ?
誰のおかげで、、、、!!
誰に向かって言ってるんだ!?
なんだその目は!!!
親がいないと何もできないくせに!
一人前になってから言え!
毒親は子を所有物と思っている。
この言葉を聞くだけでもわかる。
我が子のことを、ひとりの人として認めていないのだ。
意思や考えや感情のある、ひとりの人間として見ていないのだ。
自分の所有物だと思っているのだ。
自分の思い通りにコントロールできるあやつり人形と思っている。
心までも自分の思い通りにできると本気で思っているのだ。
おまえの幸せは全て親が選んでやる。
親のいうとおりにすれば間違いない。
本気でそう思っている。
それを親の愛情だと思っているのだからタチが悪い。
誰かに支配されて言いなりに生きる奴隷のような人生に、幸せなんてあるはずがないのに、、、
毒親は支配欲やコントロール欲が強い
私が違和感を感じるママ友さん。
やっぱり同じことを言う人が多かった。
友達に対しても支配的で、自分の思い通りにコントロールしたいと考えるタイプの人は、子供に対してもやっぱり支配してコントロールしている。
付き合う友達も親が口出しする。
メールやラインのやりとりの会話までチェックする。
来ていく服だって親が決める。
本当にそんな人が結構いる。
要するに、すべて自分の思い通りでなければ気に入らない。
他人を支配しないと気が済まない人種は、友達だろうが子供だろうが、誰に対してもそうなんだと思う。
他人の考えを変えられない、変える権利はないということがわかっていない人なのだから。
人の子育てに口出しするつもりはない。
人の子育てを批判する権利もない。
わかってる。
でも、子供に対して言っているその言葉を聞くたびに苦しくなった。
なぜなら、わたしも過干渉な親に支配されて育ったから。
優しい子ほど反抗できない。
生まれた時からその環境に慣れてしまって自分で判断することが怖くなる。
機嫌をとって親の言いなりになって生きていくしかなかったから。
どんな親を毒親というの?
毒親は、
機嫌悪く怒って威圧したり、
これは正しい、
これは悪い、
という親の判断基準を絶対的なものとして精神的に支配する。
親の言うとおりにならない時には、
お前が悪い!
間違っている!
と精神的に追い詰めて罪悪感を抱かせる。
親を敬い、
親の理想どうりの良い子として、
親の望む人生を生きることが正しいとまだ小さいうちから潜在意識に刷り込まれていく。
親に逆らったり、
親を悲しませるのは悪い子だと教えられて育った子たちは、
自分の人生を生きられず、
自分の望みや自分の考えがどこにあるのかさえ見失い、
親に支配されて親のための人生をおくる。
これがお前のためだ。
これがお前の幸せだ。
おまえのためを思って言っているんだよ。
と言われながら。
過干渉な毒親というのは、
暴力や物理的な虐待とは全然べつのものだということ。
精神的に支配してその人生までもコントロールしようとするのが毒親なのではないかとおもう。
だから、
過干渉や毒親がこどもに与えている悪影響は、
周りからは見えにくい。
周りからは、
そんな風に育てられた子供はとても素直で親思いの優しい子にしか見えない。
そして、
その周りからの評価に、『自分の子育て』論を語り、満足げにしている毒親のなんと多いことか、、、
私の親もそうだったと思う。
愛情がなかったとは思わない。
ただ、愛情という名の束縛、過干渉、支配だった。
私の場合はこんな家庭環境だった
こどもの頃から、神経質で気分のムラが激しく、大きな声で怒鳴る父がこわかった。
家庭内では誰も父に逆らうことも意見を言うこともなかった。
今の時代に比べれば、程度の差はあれ昔はそんな家庭はめずらしくなかったかもしれない。
いままでいろんな人と子供の頃の話や親の話をする機会があったけど、(みんな、多かれ少なかれ家族や育ちの中でのトラウマや乗り越えられない心の傷はもっている人が多い、、、)それでも、うちの父以上に自由人で世の常識が通用しない人はほかにいなかった。
過干渉が与える影響全てのことに口出しされた。
全てをコントロールされた。
それに触るな。
そこに座るな。
そこに登るな。
そっちにに行くな。
静かにしろ。
ガチャガチャするな。(大人しくじっとしていろということ。)
全てのことに禁止される日々。
それは食べるな。
ジュースを飲むな。
ごはんを残すな。
テレビを見るな。
ゲームをするな。
家の手伝いをしろ。
買い食いするな。
休みの日に遊びに行くな。
暗くなるまでに帰ってこい。
ガールスカウトで募金活動に参加するな。
ガールスカウトのキャンプにも行くな。
バレーボール部は指が太くなるからダメ。
受験は親の決めた高校しか受けさせてもらえなかった。
親からの支配は、高校生になっても続いた。
バイトもさせてもらえなかった。
ともだちの家に泊まりにも行かせてもらえなかった。
暗くなるまでに家に帰らないといけなかった。
男の子と付き合うことも親には言えなかった。男の子から電話がかかってくるたびに受話器越しに怒鳴りちらした。
しまいには、夜9時には電話線を抜かれるようになった。
それもダメ。これもダメ。あれもダメ。
何歳になっても度を超えた過保護に過干渉。
私には自由はなかった。
いいこってどんなこ?
レストランでおとなしく静かに座ってられるのがいい子だと思っていた。
大人の話を邪魔せず静かに聞けるのがいい子だとおもっていた。
あれ買って、これ買ってとダダこねないのがいい子だとおもっていた。
休日に遊びに連れて行ってもらった記憶はほぼない。
サンタさんが来たこともない。
誕生日プレゼントは親が選んだプレゼントをもらった。
服も、靴も、おもちゃも、自転車も、いつも姉のお下がりだった。
髪はいつも母が切ってくれた。
大人しく、親の言いつけを守る。
それがいい子なのだと思って育った。
今親になって思うのは、いい子って親の言いつけを守って、ただじっと座って待っている子のことじゃない。
大きな可能性をたくさん伸ばしていける子は、子供らしくのびのびとしていて、なんでもやってみよう!って好奇心があって、なんでもできるって自分のことを信じている、そんな子だと思う。
親が子供に与えてあげられるのは、
無条件に愛された記憶。
自分の決断を信頼してもらった記憶。
失敗も間違いも、丸ごと受け止めてくれる人がいる安心感。
親に怒られるからやらないのではなく、
ちゃんと自分で考えられる子、
自分で善悪の判断ができる子、
自らの意思で正しい方を決断できる子、
誰が見ていなくても自分のために正しいことができる子でなければ意味がない。
父にとって、
子が自分の考えを持つことは反抗だった。
子が、自分の意見を言うことは口ごたえだった。
自分で判断することなど認めてくれなかった。
自分で選ぶことは許されなかった。
何か行動を起こすたび怒られる。
何か考えるたびに否定される。
そんなことが積み重なると、何も考えず、何も行動しないことが一番平和で安全で正しいことだと自分の無意識が学習してしまう。
私は、
子供たちには自分で選んだ場所でただ幸せでいてほしいと願うだけ。
KAKA
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