数年ぶりに働きはじめて気づいたことがある。
克服できたと思ってた自尊心(=自己肯定感)の低さからくる生きづらさの問題が、ここにも潜んでた!!そんな気づきがだ・だ・だ~っと続けざまにやってきたのだっಠ_ಠ!!
もうクリアできたと思ってたんだけどなぁ~(;^ω^)まだまだ続きがありました、、、トホホ
今回の体験から気付いたものは、自己肯定感の低さと無価値観の原因をつくっていた正体は他人軸!ってことでした。
- 無意識のパターンに気づく(あれ?なんで認められたいんだっけ??)
- 不機嫌な人に振り回されるのはどうして?
- 本当にその結果でいいの?自分の心に聞いてみる。
- 生きづらさの正体は他人軸にある?
- 幸せへの近道は自己受容
- 過去のパターンを手放す合図
無意識のパターンに気づく(あれ?なんで認められたいんだっけ??)
環境が変わると、昔からなにげなく習慣でやってしまってる自分の行動パターンとか思考癖に、『あれ?なんか変だぞ?』と気付く瞬間がある。
これまでの変化の流れは2022年の年始に書いた近況報告にも詳しく書いている。
今回の場合は、ひさびさに働きはじめたことで『なんか変だぞ?』の気づきのきっかけがドドーッとやってきたのだっ!
バイトをはじめて2〜3週間くらいたったその日、繁忙期で忙しくて、入ったばっかりの私たちはいつもと違う内容のお仕事を手伝うように言われた。
『適当に、忙しそうなところに入って手伝って下さい』とか言われると、いつもクソ真面目にいちばん人手が足りない忙しそうなところを探す、言わば要領の悪いタイプのわたし。
今回のバイトで気づいたけど、みんな1番大変そうなところを避けるように、ササ〜っと他の場所へ散らばってく。
めっちゃ早い(°_°)!!
結局、いちばん忙しそうなのにだれもサポートについていない場所へ入る。(わたしにとってはよくある日常、、、)
「〇〇です。よろしくお願いします。」と、あいさつしたものの、おじさんは無言でチラリとこちらを見ただけで黙々と仕事を続けてる。
口には出さないけど〔この忙しいのに新人かよ、、、〕って雰囲気が漂う、、、。
不機嫌に対応されて⦅だれも手伝ってくれないよりええやん!⦆って思う気持ちと、⦅私みたいな新人で申し訳ないなぁ、、、迷惑かけないようにしっかりやらなきゃ💦⦆って焦る気持ちが押し寄せる。
いつもやってる仕事内容とは違うから、間違いがないようにおじさんに確認するしか無いんだけど、、、(・・;)
どれからからやりますか?と質問しても顎でクイッとやるだけ。
これ、〇〇でいいですか?って確認しても指差しとか、無言で渡されるだけ。
しかも、このおじさん他の人より圧倒的に仕事のスピードが早いから、うかうかしてたらこっちのサポートが間に合わない!
めっちゃ、プレッシャーを感じる。
そんなこんなで、お昼の休憩の頃にはホトホト疲れ果てていた。
お昼休憩で、私と同じ時期にバイトをはじめたふたりとお弁当を食べながら話してると、「あそこ忙しくない??あのおじさん仕事が早いからいつもあそこはベテランさんがサポートに入ってるし、あそこだけは行きたくないわ!」
と、Aさん。
「だよねー!私もあそこだけは行きたくないわ!」とBさん。
なるほど。
だからあんなに人手が足りてなくみえるのに誰も手伝わなくて残っちゃってたのね(´-ω-`)
新人仲間だけじゃなくて、古株のやさしそうなおばさんも声をかけてくれる。
「あそこ大変でしょ?焦らないでゆっくり自分のペースでやったら良いのよ〜(´・_・`)」と。
それでも、同じ場所にもどらないわけにもいかんので、昼休憩を終えてまたおじさんのところへ戻る。
その頃にはだんだんとおじさん流の仕事の進めかたもわかってきて、おじさんのやりやすい段取りでセッティングできるようになってきた。
午前中にじっくり観察して、"この種類の時はこれを使う"と予測して準備しておくようにしたからだ。
わかりやすくメモ書きをつけて、おじさんのやりやすい順番で並べる、、、いいタイミングで「ここに準備してます」と声かける。
そんなふうに先を見越して一生懸命やってると、朝は無言だったおじさんが「〇〇探してきて」とか「これは〇〇でええよ」とか、ちゃんと言葉で言ってくれるようになって、それだけでホッとして嬉しくなる。
夕方が近づいてくると、「ここは忙しいやろ〜」とか「あんたここに来てどのぐらい?」とか仕事とは関係ない雑談ぽいことをポロリと話しかけられたりするようになった。
それが【仕事のできないお邪魔な新人バイト】から、【わりと気が利く使える新人バイト】へ昇格された気分にさせる(*⁰▿⁰*)
がんばりを認められた証のような気がして嬉しくなる。
(冷静に考えるとおかしな話、、、(´-ω-`))
さらに調子に乗った私は、最後には自分の仕事でもないゴミ捨てからお掃除まで「やっときますね〜☺️」なんて気を利かせて働きまくった!!(アホやな、、、)
その日の終わりに「お疲れ様でした〜😊」と挨拶したとき、『あんた明日も来るの?』と聞かれて、ふと我にかえる、、、、
(o_o)アシタモクルノ???
え?わたしこれ明日もやるの??
無理〜!!!
その日、帰り道に考えた。
これ、わたしが今までずっと無意識にやってきたパターンだったかも、、、と。
不機嫌な人に、
どうして媚びてしまうのか??
おじさんの機嫌がよくなったら
どうしてホッとして嬉しくなるのか??
無意識のパターンに気がつくと
どうして?と疑問が湧きあがる。
ただ無意識におなじパターンを繰り返してきたことに気がつくと、いろんなものが見えてきた。
迷惑かけたくなかったから?
無能と思われたくなかったから?
それだけじゃない。
そのもっと奥にあるもの。
そう感じてしまう理由、、、
それは、子どもの頃に身につけた、自分を守るための処世術だったのだ!
不機嫌な人に振り回されるのはどうして?
昔から、不機嫌な人がいると苦しくなって疲れてしまう私。
放っておけばいい、、、
わかっててもそれができない。
今まで、不機嫌な人がいると苦しくなる理由も、不機嫌な人の機嫌をとってしまう理由も、私にとっては当たり前すぎて、考えてみたこともなかった。HSP気質で敏感だから、そんな性格なのかな、、、と思ってた。
記憶をたどって、同じような気持ちを感じた過去を遡ってみる、、、
せっかちな父は、いつもイライラしてて、自分の予定通りに事が進まないと怒鳴り散らす人だった。だからいつも、もっと「急がなきゃ」「早くしなきゃ」って焦る気持ちがあった。
今でも、、、「自分は人より遅い、要領が悪い」って劣等感のようなものが常にあって。
もっと急がなきゃ!もっと効率的にやらないとまわりに迷惑かけてしまう!、、、と自分にいつもプレッシャーをかけている。(←家以外では、、、)
私は生来のんびりした性格で、意識していないと動作が遅い、、、。「遅い」ことが理由でよく父に怒られたからだ。
まわりの人が、何も言わなくても、周りからグズでノロマだと思われてるんじゃないか?と、心配になる。
すごく要領いいよね。と言われても、素直には受け止められない。その言葉を信用できないのだ。
これを言葉にするなら多分、劣等感。
私は、自己評価が低くて自信がない。
それは、常に感じていると言うよりも、あるタイミングときっかけで強くなる感覚がある。
目の前にいる他人のなかに、父親に似た、父の一部分をみつけた時だ。
不機嫌な人
イライラしている人
せっかちな人
自分の価値観を押し付けるひと
威圧的で支配的な圧をかけてくるひと、、、
そんな人を目の前にすると、無意識にそのスイッチが押されてしまうのだ。
そして、自分のペースを守ることより、相手のペースを乱さないことのほうが重要だと感じる。
今現在、外側で体験していることは、その無意識のスイッチを押すきっかけでしかない。
つまり、原因は外側じゃなくて、私の内側にあるんだな。
私は今でも『不機嫌な誰か』に、過去の父親の姿を重ねて、父親の機嫌をとるパターンを繰り返してたんだ!
父親の機嫌を損ねると嫌な思いをする。
父親の望むいい子でいないと怒られる。
父親の機嫌を損ねないように、顔色をうかがって空気を読む。
顔色を伺って空気を読むことが、嫌な思いをしないで穏やかにやりすごす唯一の対処法だと、大人になった今でも信じ続けて、そのパターンを繰り返してきたんだな。
これは、、、もう一度よく検証してみる必要がありそうだ。
だって、その方法で得てきた結果は、最良とはいえないんだから!
本当にその結果でいいの?自分の心に聞いてみる。
父親の機嫌をとれば、その場は平和にやり過ごせる。そうやって、場の空気を読んで顔色を伺って過ごしてきた幼い子どもの頃の自分。
だけど、、、機嫌をとって、目先のトラブルを回避するそのやり方では、ずっとずっとエンドレスに誰かの機嫌をとり続けるしかないのだ。
今日をうまくやり過ごしたとしても
明日は?明後日は?
今日起こったことの未来の結果を予想してみる。私が努力したことで、あの不機嫌なおじさんに気に入られたらどんな結果が待ってるか?、、、、そしたら、恐ろしい未来が見えた:(;゙゚'ω゚'):
「あんた、明日も来るの?気に入ったわ!明日も明後日も、ずっとここの担当して」と言われて、ずっとそこで不機嫌なおじさんと一緒に仕事をすることになる、、、😱😱😱
いやや!
そんなの地獄やん!!
そんなこと望んでないってば!!
本当にその結果でいいの?
本当はどんな結果を望んでる?
自分の心に聴いてみる、、、
本当は、私は自分のペースで仕事したいし、不機嫌になってまわりを不快にさせたりコントロールしようとする人と一緒に働きたくなんかない。
もっと気持ちよく一緒に仕事をできる人と、いい環境で働きたい。
それが私の本心だ。
それなら、どうすれば良かったんだろう??
不機嫌でまわりをコントロールしようとする人と、一緒に仕事したくないなら、、、
↓
好かれない方がいい。
敬遠されたら尚更いい。
その人から仕事ができると認められたり、便利に使えると気に入られてしまったら、ずっとその人と過ごすことになるからだ!
、、、と言うことは?
まさかの、自分がやってきたのと逆のことが対処法!!Σ( ̄。 ̄ノ)ノワタシバカヨネ〜
そんなの、今までも何度も知識として知ってきた。
それでも自分の中に根強く植え付けられたその価値観を変えることは難しかった、、、。
自分の体験から気付かされた今回は、今までとは比べものにならないくらい、自分の心にズーン!!と重く衝撃的な打撃を与えた。
どんなに機嫌がわるい人がいても、苦手な人がいても、機嫌をとったり、気を利かせる必要なんてないってことが、実感として本当に心の底から理解できた。
そんな人からは、嫌われていいのだ。
嫌われるべきだったのだ!
認められる必要も、評価される必要も初めからなかった。
ホント、、、これからは誰かのきげんをとるために頑張るのはやめよう。マジで!と心に誓う。
↑この時かたく決意したけど、実はここから数ヶ月にわたって、何度も同じ学びを繰り返し見せられて、何度もいろんなパターンでこの気づきを体感させられてるところ(^^;
その話は、長くなるのでまた機会があったら書こうかな。
長年の癖はすぐには抜けないけど、実は、気づくことが最大の難関で。
気づきさえ来れば、あとは少しずつでもちゃんと書き換えられていくものだ、、、ということもまた、実感させられているのです。
生きづらさの正体は他人軸にある?
子どもの頃に身につけた、他人の顔色をうかがう癖。
それは、父親との関わりや育った家庭環境の中では、自分を守るための処世術だったんだけど、、、。
他の人が不機嫌な原因を
自分のなかにさがしてしまう。
自分の気持ちよりも
他人の気持ちや都合を優先する。
無意識にそのパターン繰り返し続けてきたことが、この生きづらさの正体だったらしい。
他人の顔色をうかがうことは
他人軸で生きているということ。
他人の基準で判断しているということ。
どれが正しいか?
何を求められてるか?
どれが得になるか?
どんなことが評価されるか?
そうやって、価値基準を外側に求めて判断しはじめると、自分軸がなくなる。
自分がやりたいか、やりたくないかは無視して、やるべきかどうか、、、と「〇〇べき」で頭で考えて判断する。
つまり、自分の気持ちは無視して、まわりの人の欲求を満たそうとすることだ。
そうやって他人軸で生きてると、いつも自分は二の次で、、、
いつのまにか、自分の気持ちを満たすことも、やりたいことを自由にやることも、贅沢でわがままなことに思えてくる。
他人軸で生きることに慣れてしまうと、自分より他人を優先するべきだ!と、自分の価値を低く見積り始めるのだ。
自分自身の価値を、他人の評価に委ねてしまうと、他人からの評価が得られなければ自分の存在価値まで低くなるように感じる。
もっと頑張らなきゃ!もっと努力しないといけない!認められて評価されなきゃと感じはじめる。
自分らしくありのままに生きることも、自分の心の求めるままに自由に生きることも、自分に許せなくなる。
ありのままの自分には価値がない
そのままの自分では評価されない
常にそんなメッセージを自分の潜在意識に送り続けてるからだ。
こうやってどんどん自尊心を低くして、自己肯定感も、自己評価も下げつづける。
その結果が、人生の生きづらさを創り出していたのだ、、、。
幸せへの近道は自己受容
自己受容とは、
セルフエスティーム
「これでいい。これが自分だ。」とあるがままに受け入れて、どんな自分も無条件に愛するってこと。
ダメ出ししたり
他人と比べたり
努力して変えようとしない。
何をしても・しなくても
存在しているだけで価値がある。
ありのままの自分に愛着を感じる。
それが自己肯定感であり自尊感情だ。
ありのままの自分を自己受容できれば、不安になることも自分を責めることもない。
何も変えようとしない。
このままでいい。
ありのままでいい。
言うなれば、般若心経の般若波羅蜜多の世界かな、、、。
↑
ここでずっと受けとり続けてた、直感とか偶然からのメッセージと繋がるわけね(´⊙ω⊙`)!
すごい、、、わ。(偶然に導かれた密教についての過去記事はこちら①とこちら②から)
自己受容ができている人、つまり、自分軸で生きている人は自分勝手で自己中なんじゃないの??って疑問を持つ人もいるかもしれない。(←昔の私はそう思ってたかも、、、)
これね、実はまったく逆らしい。
自己受容している人(つまり、自己肯定感や自尊心が高い人)は、自分軸を大切にしているからこそ自分自身が満たされている。
他者から満たしてもらう必要がないからこそ、外側でおきる事に心を乱されることもない。
自分自身のありのままの姿を受け入れて認めているからこそ、他者の価値観も自由もありのままに受け入れて尊重することができる。
奪うことも、奪われることもなく。
支配することも、支配されることもない。
つまり、調和がとれて満たされているからこそ、他者から満たしてもらう必要のない人だ。
自己受容ができている人は、いろんな世の中の苦しいことからは離れて、もっと自由で満たされた調和の世界の中にいる人なんだな。
まさに、般若波羅蜜多、、、
つまり、私のように自信がなく他人の基準に合わせて頑張ってしまう人も、あの人のようにいつもマウンティングして優位に立とうとする人も、結局はおなじ他人軸で生きる人。
真逆に見えるけど、どちらも自尊心が低く、生きづらい人ってわけだ。
過去のパターンを手放す合図
つまり、、、子どもの頃に身につけたわたしの処世術では、望んだ結果につながらないことは明らかだ。
子どもは産まれる環境を選べない。
自分ひとりでは生きていけない。
だから親の顔色を伺って、親の価値観で生きることは当然のことだったはず。
だけど、、、、
大人になった今も、私の時間はそこで止まったままだったんだな。
そのことに疑問も持たず、無意識に繰り返してきた私は、ありのままの自分には価値がない・ありのままの自分では評価されないと、信じ続けてきた。
誰かの役に立たなくちゃ。
人に迷惑をかけちゃいけない。
〜するべき!・〜ねばならない!と、親に教えられた世界との関わり方をずっと信じ続けてきた。
でももう、過去のパターンは手放そう、、、
何度もおなじ問題がくりかえされるとき、それは『手放すタイミングだよ!』ってお知らせかもしれない。
過去のパターンを手放す合図なのかもしれない。
無意識に繰り返してきたパターンに、『なんか変だぞ?』と気づくきっかけを、与えられてるのかも知れない。
そうやって、私もいま、他人軸と自分軸の気づきを集中的に体験しています。
私のように、何度もくりかえされてる問題はないですか?
そこに、自分の気づきのヒントが隠されているのかも知れないですよ😊
最後に、今回のブログ記事と関連している、過去記事をはっておきますので興味のある方は読んでみてくださいね。
*自分を大切にする
*両親との関わり
*娘の校則と自由
最後まで読んでいただきありがとうございました✨
↓はてなブログの読者登録はこちら KAKA