津留晃一さんのメッセージ『奉仕』を紹介します。
前回のブログで紹介した、津留晃一さんの公式ホームページのメッセージ集から、『奉仕』を紹介します。
これ、数回にわたって書いてきた、やさしくて生きづらい人へピッタリのメッセージだったから。
これを読んだ私の感想は、
『なるほど!(*⁰▿⁰*)めっちゃ単純明快!』
ってことでした。
津留晃一さんのメッセージを原文そのままでぜひ読んでみてもらいたいのです。
まず、原文はこちらから。
津留晃一さんメッセージ集より
『奉仕』「奉仕」津留晃一メッセージ集
この記事では、津留晃一さんの『奉仕』を読んで私なりの理解したことや、感じた感想を話してみたいと思います。
プラスを思えば同時にマイナスが生まれる世界
「やさしく」「正しく」あろうとすると、抱え始めるこの苦しさはなんだろう?
どうして、そうなるんだろう??
津留晃一さんのメッセージを読むと、実はとても自然な起こるべくして起きている葛藤だったと感じます。
シンプルなこの世界の仕組みが見えてきます。
①他人をジャッジする気持ち
成長する過程で、親や、学校から、『奉仕することは素晴らしいことだ。奉仕することは正しいことだ。』と教えられてきた私たち。
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その、『正しい』という価値観をもった人は、正しい行いをしようと、周りへ奉仕できる人になります。
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『正しい』という価値基準に基づいて行動している奉仕者は、奉仕できない人や奉仕しない人をジャッジして裁きはじめます。
↓
奉仕できない人へ、『まちがっている!』と責める気持ちが出てきます。
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つまり、『正しい自分』でいることで、『間違っている他人』を同時にこの世界に生み出しているということです。
②極限まで増えつづける依頼や重圧への疲れ
人に尽くしたいという思いが、尽くしてもらいたい人を引きつけます。
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あなたが頑張れば頑張っただけ、あなたが相手に尽くそうと思えば思っただけ、相手からの要求もエスカレートしてきます。
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抱えきれなくなる極限まで、依頼と重圧は増え続けます。
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つまり、『人に尽くすことのできる自分』であることで、『人に尽くされたい他人』を同時にこの世界に生み出し続けているということです。
③正しく、やさしくあり続けられないことへの自責
人間には人に優しくしたいという根源的な欲求があります。
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自己の本質に目覚めかけた人は、人に何かをしてあげることに大きな喜びを感じるようになります。
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しかし、人からの依頼は増え続け、やがて限界を超えると、あなたはイライラしはじめます。
↓
『優しくありたい』自分の気持ちとは裏腹に、優しい気持ちで依頼に応じられない自分を責め、葛藤します。
↓
プラスであり続けようとすることで、やがて限界が訪れ、プラスであり続けられないことに苦しみます。
奉仕者の葛藤について、とても単純明快に書かれていて笑ってしまいました。
こんなに単純なことだったか、、、、と。
プラスを生み出すと、同時に同じだけマイナスを自分の世界に生み出すんだ。
この世界に存在するものは、すべて対極のものでできている。
、、、というか、対極のものがないと存在できない仕組み、、、っていうのはよく聞く話。
そうしないと、この世界のバランスが取れないから。
つまり、『正しい』という価値観こそが葛藤を生み続ける原因ってことか。
葛藤から逃れるには?
この葛藤から逃れるには、
いつも正しくありべき。
人には優しくするべき。
この価値基準を手放すこと。
正しくなくてもいい。
優しくなくてもいい。
どっちでもいい。
と、中立にいられるようにすること。
正しいことが良いことという考えを捨てて。
やさしい人であるべきという義務感も捨てて。
ただ、どちらでも好きに選んでいいと、ニュートラルな視点にたてると、葛藤が消えてゆく。
そうすれば、自分は『奉仕する人』でありながら、奉仕できない他人を批判しない人になる。
『やさしい人で、尽くす人』でありながら、他人からやさしさを強制されることもなくなる。
こう聞いて、『わかっちゃいるけど、それがムズカシイ!!』っておもいますよね。
私もそう思ってました。
正しくありたい。
やさしい人でありたい。
これは、私(kaka)には人として当たり前のことのように感じる。
だから、これを手放すのは、とても難しいことだと思っていました。
でも、津留晃一さんのメッセージを読んで気がついたことは、いまこの葛藤に向きあって生きづらさを抱えている私たちは、もう意識の反転がそこまで来ている人。
あれもそれも、過程でしかなかったんだな。
それが自然な流れだったんだ。
この苦しさが極限まで辿り着いて、意識が内側へと向かってゆく時こそ、真の成熟の時だという津留晃一さんの言葉を聞いて、『これでいい。この先へ進もう!』そう思えました。
真の成熟の入り口とは、世界が反転するとき
津留晃一さんのお話を要約すると、
人は生まれた時の、なにも価値基準のない状態から、社会と関わりながら常識や善悪や奉仕の心を学んでゆく。
そして社会の健全な常識を身につけた立派な人と呼ばれるようになってゆく。
意識が外を向いた人となってゆくのです。
それが人間の成長です。
けれど、ここで終わりではなく、外へ外へ向いた意識は、いつか内側を向く必要があるのです。
苦しくて苦しくて極限まで行った人が、『どうして?』と、内側に意識を向けはじめる時がきます。
そこからがあなたの真の成熟の時なのです。と。
ホッとしました。
嬉しかった。
ずいぶん、不器用で遠回りしたように感じていたけど、苦しさの極限まで辿り着いた人、いま、内側に意識を向けて自問をはじめた人、(=私)は、ちゃんと進んでいるんだな。
道に迷ってるんじゃなかったんだな。
ここからが真の成熟の入り口ってことだ。
内側の世界と外側の世界は、
端っこまでいくと反転する。
内側が外側となり、
外側が内側となり、
表裏一体につながっているこの世界は、あるポイントで反転する。
「良い」も「悪い」も手放して、どちらでもいいのだと思えるようになる時、自由になる。
他人の行動にも、
他人の考え方にも、
干渉することも干渉されることもない、本当の自由で解放された自分自身になる。
なんだかワクワクする!!
それは、もうすぐそこに来ている♪
、、、そんな気がする。
『やさしくて生きづらい人』シリーズ
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KAKA