でこぼこーど

自己探求する主婦の子育てと愛犬介護の記録

神は問うものであり、運命は神からの質問だ。その答えは、、、

韓国ドラマ『トッケビ』

 神は問うものであり
運命は神からの質問だ。

この言葉、韓国ドラマ『トッケビ』のなかで、神の台詞として出てきた言葉です。

人生でおこる不都合なことや不運と感じることを、「神の意志だ」とか「神のいたずら」だと言う人間たちに、あきれたように神がいうのです。
私の意志ではなく、自らが望んだことだ、、、と。

 

そして、

神は問うものであり

運命とは神からの質問である。

答えは自らで求めよ

、、、、、と。

 

これ、聞いたときに鳥肌が立ちました。

この言葉を聞いて、
そうなんだな、、、。
そういうことだったんだな、、、。
と、妙に納得して腑に落ちる感覚がありました。

 

神様は、
答えを与えてくれる存在ではなく
問いを投げかける存在だということ。

 

答えは、
神に求めるものではなく
自分自身で見つけるものだということ。

 

 

目の前におこる出来事は
神様からわたしたちへの問いかけでしかない。

 

 

目の前の嫌な人も。
目の前で起こった苦しい現実も。
私たちにただ問いかけているだけ。

 

その出来事から、
何を感じる?
何を学ぶ?
何を選ぶ?
何を求める?
この問いにどうこたえる?、、、と。

 

ちなみに、
このドラマのなかでは、
身近な誰かに宿った神様が
さりげなくメッセージを伝える、、、
そんなシーンが何度かでてきます。

 

きっと、これ現実にも起こっている気がする、、、

 

 

神様の問いかけに不正解はない。

神様からの問いに答えるって???
どうやって答えるのよ!!!って思いますよね。

 

めっちゃ個人的に自分が思うことやけど、、、

 

目の前の現実から
感じ、学び、自分で選び
求めるものに意識を向けること
、、、なんじゃないかな?
と思っています。


自分の選ぶ道や
求める未来を心に決めること。


自分の目指すゴールを
明確に意識すること。


それが神様からの問いに答えるということなのかな、、、と。

 

答えに正解も不正解もきっとなくて、、、、

 

神様が求めているのは、
ただ自分で答えを決めること。

 

” 望む自分 ” は、これです!!!

 

” 望む人生 ” は、これです!!!

 

って。

ただそれを待っている気がする。

だから、望む人生を心に決意して、はじめて人生が動き出すのかもしれないな、、、と感じます。

 

 

不運や嫌な出来事に
意識をむけたままで

なんで私ばっかり不幸なの?

なんで私の人生は足りないの?

なんで世の中不公平なの?

なんで神様は私に意地悪するの?

なんで???

なんで???

なんで???

と文句を言って
神様に答えを求め続けているうちは
絶対に答えてくれることはない。
絶対に現実がかわることはない。

 

と思うのは、、、、
実は、昔の私は、
なんで?なんで?と
不満だらけの文句だらけだったから。


で、そんな私の「なんで?」に
神様も現実もこたえてくれることはなかったから。

 

私たちがその問いに答えるまで、
神様からは問いが投げられ続けるだけなのかな、、、きっと。

 

 

 

最悪に見える出来事が最大のチャンス

最悪に見える出来事が
後々人生の転機になっていた
と感じることありませんか?

 

私自身も振り返ってみると
私を成長させてくれたり
私の人生を豊かにしてくれたのは
ツイてない苦しい、、、
そんな最悪に見える出来事のほうだったかも、、、???なんて感じるんです。

 

なかなか乗り越えられずに
苦労した親子関係も。

 

私のまわりの人間関係を
破滅的に壊そうとしたMさんも。

 

過ぎてみれば、
行くべき場所に行くための、
通過点でしかなかった。

 

神様から投げかけられる問いは
自分の答えを知るためのヒントで。


本当に手に入れたいものを知り、
本当の望んでいる人生の目的地を見つけるための、必要な一部分だったような気がするんですよね。

 

人生の道しるべにするために
感情というコンパスを持たせてくれている、、、ってどこかで読んだ覚えがあって、すごく心に残っています。

 

 

自分の感情は、
自分の望みをおしえてくれる。
望む人生へと舵をとるためにあるのかも、、、。

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☟韓国ドラマトッケビの紹介はこちらの記事で

韓国ドラマはなぜ人気?韓ドラ沼のすすめ - でこぼこーど

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