優しい人が、自分を守るために知っておくべきことがある。
理由なく悪意を向ける人、他人の不幸を喜ぶ人がいると知ること
境界線をどこに引けばいいのかわからず、人間関係で疲れを感じやすい私。
昨日の記事で直感を信じて!ということを書きました。
押しつけられた人間関係にNOと言ってもいい!直感を信じよう。嫌なかんじには理由がある。 - でこぼこーど
そう思うようになったきっかけは、理由なく他人に悪意を向ける人がいると理解したことでした。
人が幸せになったら、自分の幸せが減るとばかりに、人のものを羨んだり妬んだり恨んだりする人がこの世の中には一定数いること。
支配したいとか、優位に立ちたいとか、他人を蹴落とすこと、他人を利用することばかりを考えてる人がいること。
普通に一般人の中に、、、
社会人として、子どもの親として、ごく身近に、あたりまえにいるってことを、やっと理解したことでした。
ほとんどの人は、常識的と言われてる一般的な感覚を持っているとはおもうけど。
残りの少数派は両極端なんだろうなと想像する。
そんなの当たり前のことだと思いますか?
それとも、以前のわたしと同じようにそんなこと認めたくないでしょうか?
わたしが生きづらかったことの原因となってたのは、この世の中には人のことを利用しよう、搾取しよう、操ろうという考えで生きている人が、身近にもいるということを理解していなかったこと。
そんな人もこの世の中にはいるけど、もっと自分とはかけ離れた世界の中で、見るからに悪人らしく生きているのだろうと、、、。
こんなふうにいったら、めちゃめちゃ世間知らず感、、、、(^_^;)
でもホントの話。
自分のやさしさを基準にしない
自分の内側には、もともと人を裏切ったり、騙したり、妬んだり、マウンティングしたり、足引っ張ったりしたい、、、って、そんな思考がない。
これは、良い人なんですと言いたいわけじゃなくて。
他人と比べて、上とか下とか、優劣とかにもともと興味がないからっていうのが正直なところ。
誰かの持ち物や、着ている服、ブランドに興味を持って話題に盛り上がることが理解できなかった。
誰かの持ち物にも身につけているものの値段やブランドにも、あまり興味がなかったから気がつかなかった。
持ち物や着ているものをさりげなく褒めたり、話題にするような細やかな気遣いができない自分が、他人に興味のない冷たい人に思えていた。
今なら別の見方ができる。
わたしはあまり物質的なものに興味がなくて、意識して気付いたり覚えていたりできない。
それは人に興味がないのじゃなくて、その人の内側とか、見えないけど感じる優しさとか気配りとか滲み出るものに興味があった。
それだけだった。
幸せは限られてない。
無限にあるもので、
個人が持っているもの。
幸せはうばいあうものでも限られてるものでもないから、
他の誰かの幸せは、自分の幸せにはなんの影響もあたえない。
だから、誰かが受賞したとか、ラッキーなことがあったとか、そんなことも、心の底から良かったやん〜。すごーい(*'▽'*)と思う。
それだけ。
自分がそんな感覚で生きてきたから、ずるい人や悪意を持ってわざと害を与えようとするいる人がいるということを、考えてもみなかった。
誰かの不幸を喜ぶ人がいるとか、誰かの幸せに憎悪するとか、そんな人が居るなんて思わなかった。
特に、自分の身の回りに、普通の顔をして、悪意を隠しもってる人なんて、、、!
そんな人はいないという前提で生きてた。
もちろん、大っぴらに『悪意』をはっきりと見せながら近づいてくる人なら私にだってわかるけど、良い人の皮を被っていて、お世辞や心にないことも上っ面で平気で言える人というのがいることを知った。
知ってしまったら、もうみないフリは出来なくなった。
だけど、それは自分のためにとても大切なことだったんだと知った。
知らないままだと、
自分を守れないから。
自分のやさしさを守る
知っていますか?
優しくていい人
の周りには、
お人好しを食い物にして利用してやろう
と悪意を隠しもってる人が集まりやすい
のです。
その法則をちゃんと理解して、自分を守ることはとても大切なことです。
悪意ある人に自分のやさしさを利用させないこと。
それはもう、権利なんかじゃなく義務じゃないのか?!と思います。
そのくらい、純粋なやさしさを持っている人の周りには、それを利用しようとする人があつまります。
そのことを事実として知って、しっかり自分のやさしさを守りましょうᕦ(ò_óˇ)ᕤ
次回は、そのことについて書きたいと思います。
読んでいただきありがとうございました。
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KAKA