16歳の愛犬を看取りました。
この子がいなくなったら、ママ絶対ペットロスで廃人になりそう、、、
昔から、ずっと家族にそう言われてきた私。
私自身も、この子がいなくなったら、、、、
普通の日常生活がおくれる自信がない、、、そう思っていました。
愛犬を見送り、
たくさん泣いて。
けれど、自分でも驚くほどに
心は穏やかでした。
それは、最期にゆっくりと
心の準備と覚悟をするための時間と
全力で心をかたむける濃密な時間を
愛犬マロと家族のみんなが
与えてくれたからだと思っています。
最期に愛犬にしてあげられることはなんだろう?
ここ数日、厚労省の『人生会議』のPRポスターがニュースで話題になっています。
表現にもう少し配慮が必要だったのは事実かもしれません。
ただ、人生の最期の時をどのように迎えるかを、事前に家族で話し合っておく「人生会議」は、とても大切なことだとも思います。
私たち家族も、
愛犬マロの余命がもう長くないかもしれないと感じた時、
大切な愛犬との最期の時間を
どうすごしたいのか。
最期に愛犬が望むことは
何なのか。
私たちが残された時間で
マロにしてあげられる事は
何なのか。
を家族で話し合いました。
その答えは、、、
命を時間をひきのばすための
延命治療はしない。
緩和ケアをしながら、
今まで通りの生活をさせてあげたい。
家族の暮らすこの家で、
家族に見守られながら
安心して旅立たせてあげたい、、、、ということでした。
愛犬とのお別れをする心の準備
中学生の長女は、
自分も同じ気持だと言ってくれました。
小学校低学年の次女には、
まだ理解するのは難しいかも
、、、と思ったのですが
次女もちゃんと理解してくれました。
まだ小学生の次女とは、
こんな話をしました。
マロくん、もうあんまり長く生きられないかもしれない。
老衰っていって、マロはもう犬のなかではすごく長生きしたぐらいお爺ちゃんになっててね。
人間でも、どんなに元気なおじいちゃんおばあちゃんでも、100歳の長生きさんはいても、200歳のおじいちゃんおばあちゃんはいないよね?
マロくんはもう歳をとって、
天国からお迎えがくる歳に
なってしまったみたい。
病気みたいに薬でなおればいいんだけど、これは薬で治せるものではなくてね。
少しずつ、歩けなくなったみたいに、
体のいろんな場所でもだんだんと、今までどおりの働きができなくなっていってしまう。
だから、今のマロくんは、
お別れの日がいつくるかわからない。
元気に過ごせる日もあるし、
急に元気がなくなって苦しそうな日もある。
もしかしたらお別れは
今日かもしれない。
明日かもしれない。
だから、そろそろ、
心の準備をしておきたいんだ。
後悔しないようにいっぱい話をして、
いっぱい可愛がってあげようね。
ママは、マロくんが天国に行くときには、安心していけるように、そばにいてあげたい。
だから、今は休みの日に家族でお出かけできなかったり、お家にお友達を呼べなかったり、我慢させてしまうこともたくさんあるけど、マロくんのために一緒に頑張ってくれる?と。
次女はエルフィーといっしょ?
と聞きました。
うん。エルフィーと一緒だよ。
と答えると
わかった。わたしも同じ気持ちだよ。
と言ってくれました。
エルフィーというのは、
『ずーっと ずっと 大好きだよ』という絵本に出てくる犬の名前。
家族のように育った犬も
自分たちより早く年老いて
いつかお別れが来ることを
子供たちに教えてくれる絵本です。
心の準備をさせてくれた絵本『ずーっと ずっと 大好きだよ』
エルフィーとは、うちの本棚にもある大好きな絵本にでてくる犬の名前です。
ずーっと ずっと だいすきだよ ハンス・ウィルヘルム 作・絵
主人公の男の子は、小さな頃から仔犬のエルフィーと一緒に成長しました。
元気で、やんちゃで、いたずらっ子のエルフィー。
そんなエルフィーも、男の子がが大きくなる頃には、老犬になってしまいます。
寝てばかりで、散歩も嫌がるようになり、まもなく階段も登れなくなってゆくエルフィー。
心配してつれていった獣医さんで、こう言われます。
できることはなにもない、、、、と。
「エルフィーは、としをとったんだよ」と。
男の子は、先に年老いてしまったエルフィー抱いて、毎晩じぶんの部屋のベッドに運んでやりました。
そして、寝る前にはかならず、『エルフィー、ずーっと、だいすきだよ』っていってやりました。
ある朝目を覚ますと、エルフィーはしんでいました。
エルフィーの死を家族のみんなが悲しみます。
男の子は思います。
みんな、エルフィーのことがだいすきだった。
すきなら、すきと
いってやればよかったのに
だれも、いってやらなかった。
いわなくっても、わかると
おもっていたんだね。
ぼくだって、悲しくてたまらなかったけど、いくらか、きもちがらくだ。
だってまいばん、エルフィーに、「ずーっと、だいすきだよ」って、いってやっていたからね。
と。
このお話を知っている人も
多いと思います。
何年まえからかわかりませんが
1年生の国語の教科書に
採用されている絵本のお話しです。
私と同じように、
音読の宿題のたびに泣いてしまう
そんなお母さんも多かったかもしれません。
娘は、この絵本との出会いがあったおかげで、
生まれた時から一緒に兄弟姉妹のように育った愛犬との別れを、ちゃんと受け入れることができたのかもしれません。
今、こどもがまだ小さくて、一緒に暮らしている動物の家族がいるのなら、この絵本を本棚においてあげるといいかもしれません。
人間より、かならず先にお別れが来てしまうペットとの大切な時間のことを、自然とおしえてくれる良い本だと思います。
私は、もともと子供達に話しかけるのと同じくらい、愛犬にもたくさん話をするのですが。
この絵本のおかげか、次女も、ちゃんと心を通わせていつもたくさん言葉をかけてくれていました。
大変だけど濃密で愛おしい介護の日々
最期にマロと過ごした
濃密な介護の日々は
まるで産まれたばかりの赤ちゃんと、心通わせながら過ごすような、特別で幸せな時間でした。
朝も昼も夜もなく、
24時間可能なかぎり
そばに寄り添ってすごしました。
最期の1ヶ月ほどは、
リビングで、マロと2人で
朝まで一緒に寝ました。
腕枕で、こんなふうに
一緒に寝る幸せな時間。
いつもマロの特等席だった腕の中は、
いつのまにか2人の妹の特等席になっていて。
こんなふうに朝まで腕の中で眠るのは、すごく久しぶりだったね。
夜中に起きて、泣きだすのも
赤ちゃんと同じ。
オムツを替えて
給水用のボトルで水を飲ませて。
補助で歩けるうちは、手を添えて
家のなかを気がすむまでぐるぐる
歩き回るのに付き合った。
補助があっても満足に歩けなくなり
立てない状態になってからは
夜中に抱っこして、家中を歩いたり
ベランダで外の空気を吸って
気分転換をした。
そんな時間は、本当に赤ちゃんのお世話をしている生活みたいで、、、。
大変だけど愛おしい
そんな特別な時間だった。
最後まで家族にかこまれていつも通りの生活をさせてあげたい
マロは歯が丈夫だったから、
ずっとカリカリのドッグフードを食べてた。
他に好きなものといえば
生の人参やキュウリ
ポリポリと美味しそうに
食べる姿がなつかしい。
好き嫌いも言わず
人間の食べ物も欲しがらなかったマロだけど。
どんどん食欲がなくなって
食べたい気持ちがあるのに
体が受けつけない、、、食べられない。
食べられなくなってからは
みるみるうちに元気がなくなった。
栄養バランスの良いフード
犬の体にいいレシピにこだわってた私も
そんなことより、
ひと口でも『食べたい』『美味しい』と思うものを食べさせてあげたい!
そう思ってからは、本当にいろんなものを試して、作ったり、買ったり、分けあったりした。
延命のための静脈点滴や
チューブでの栄養補給は
しないと決めていた。
いつも通りのわが家で。
家族に見守られながら
食べたいものだけを食べて
いつも通りに過ごさせてあげたかった。
むすめの離乳食を作ってたときみたいに、その日の夜ごはんの材料を取り分けて、マロ用のごはんを作った。
大好きなチーズや、食べやすい卵を使って、トマト入りのスクランブルエッグにしたり。
鶏ミンチやじゃがいもを混ぜたスペイン風オムレツにしたり、、、。
牛肉やチーズを入れたリゾットを作ったり。
食欲のない日は、犬用のミルクに食パンを浸してパン粥にして食べたり。
調理法を変えたり、
飽きないように試行錯誤して。
美味しそうに食べてくれる姿を見るだけで、本当にただ幸せな気持ちになった。
いろんなものを食べたね。
黒糖パンが大好きだってことも
はじめて知ったね。
今までなら絶対に食べさせてもらえなかったチーズタラも、みんなで一緒に食べたね。
今まで知らなかった美味しいものがたくさんあったね。
天国に旅立つ当日まで、
美味しそうにたくさん食べる姿が嬉しかった。
私が最期に願ったことは、、、
家族みんな気持は同じ。
愛犬マロとの最期の時間を最優先できるように、それぞれ自分のことを少しずつ我慢しながら、頑張ってくれました。
「ご飯は何でもいいから、マロのことしてあげて、、、」と、パパ。
「受験の行事、ひとりで大丈夫やからマロについててあげて、、、」と、長女。
小学生の次女は、ママと一緒に寝られなくて寂しくても、マロのためだからと頑張ってくれました。
休みの日には、お天気いいからマロとお散歩行こう!と、歩けないマロをお散歩に誘ってくれました。
ポカポカの芝生に寝そべって、次女の遊ぶ姿を眺めているマロは、本当に幸せそうに見えました。
私がさいごに願ったことは
長く苦しむことがないように
安らかに最期を迎えさせてほしいということ。
旅立つときには
そばに居させてほしいということ。
だからほんの少しの外出も
お留守番させるのが不安で。
出来るだけずっとそばに居たくて。
私が100%全力でマロの介護ができるようにと、家族全員が頑張ってサポートしてくれました。
本当にありがたかった。
この生活が、半年続くかもしれない。
でも、もしかしたらお別れは今日かも明日かもしれない。
そう思いながら、
家族のみんなが、精一杯心を傾けた日々。
後悔のないように、
心を尽くしたと思えるからこそ、
穏やかな気持ちで、マロの旅立ちを受け入れることができたのだと思います。
だから、
さみしいけれど
悔いはない。
また逢える日まで
天国で見守っていてね
maro
16歳と60日
たくさんの癒しと、愛と、想い出を
ありがとう。
だいすきだよ♡
KAKA