- 敏感な子の子育て
- 敏感な子の反応はアレルギーのようなもの
- 敏感さを理解してもらえなかった子供時代
- わたしと同じ敏感気質の次女
- “快” か “不快” かではなく、自分たちにしか認識できないなにか
- 周りにわかってくれる人がいるだけで
敏感な子の子育て
においに敏感な子
音に敏感な子
味覚が敏感な子
触感の違いに敏感な子
周りの人の感情に敏感な子
天気で体調に変化がある子
そんな敏感な子の子育ては本当に大変ですよね。
親自身も敏感な気質を持っていると、理解してあげることや適切に対応してあげることができます。
けれど、親が敏感な気質ではない場合は理解することが自体が難しいですよね。
なぜそんなに些細なことにこだわるのか?
なぜ些細なことに過剰に反応するのか?
なぜ他の子が我慢できることがこの子には我慢できないのか?
一般的に普通の感覚のなかで生活している人に、敏感な気質の子が抱えている生きづらさを理解することは不可能に近いかもしれません。
それでも、めんどうな子と言わないであげてほしいのです。
敏感な子の反応はアレルギーのようなもの
敏感な子が嫌がるにおいや音や目に見えないものたちは、感じない人にとってはそこに存在しないものだけれど、敏感な感覚をもっている子にとってそれは確かにそこに存在しているものなのです。
たとえば花粉症と同じようなものなのです。
花粉が目に見えるという人はいないと思います。
けれど、
花粉はみえなくても確かにそこに存在しています。
花粉症の人なら、目に見えなくても身体が反応するので、クシャミや鼻水が出てムズムズします。
身体が反応して、『花粉が飛んでいる、、、』とわかります。
目に見えない小さなものにいちいち反応するな!といわれたところで、花粉症のアレルギーを持っている人にはどうすることもできません。
花粉にアレルギー反応をおこさない人は、花粉が飛んでるよといわれても、
『へー。そうなんだ。大変だね。』
と思うだけですよね。
『なんでいちいち細かいことに反応するんだ?気にしすぎだよ!めんどくさい人だな、、、』
なんて思いませんよね。
敏感な子が感じているにおいや音や目に見えないもの達も同じです。
反応するなと言われても、反応してしまいます。
気にするなと言われても、やっぱり身体が反応してしまいます。
アレルギーとおなじで、気持ちでなんとかできるものではないのです。
だから、
自分には何も感じなくて、
自分にはわからないものでも、
否定しないで。
気にするなと言わないで。
『めんどうな子』と言わないで。
敏感さを理解してもらえなかった子供時代
わたしもそんな敏感な子供でした。
なぜか家族の中でひとりだけ。
アレルギーもたくさんもっていて、
ぜんそくもあって、貧血もあって、、、
親からすると、とても育てにくくてめんどうな子。
車のにおいが苦手で車酔いをする。
芳香剤のにおいで気分が悪くなる。
化粧品のにおいや香水の匂いも苦手。
人の体臭なんかにもすごく敏感。
他にもにおいでムリな場所や人は多かった。
人が大勢いる場所も苦手。
大きな音もザワザワした場所も苦手。
学校の朝礼でもすぐ貧血でたおれてしまう。
苦手なことをあげはじめるときりがないけれど、、、、、
それを言うと、
またはじまったと、めんどうがられる。
周りの大人が嫌な顔をする。
親の機嫌が悪くなる。
なんで我慢できないんだ!と怒られる。
だんだんと、
言ってはいけないことなんだと学んだ。
みんなこのくらいのことは当たり前に我慢しているのに、我慢できない自分が悪いのだと自分を責めた。
成長して大人になるにつれて、
自分なりの対処法をみつけて、
なんとかかんとか折り合いをつけながらこの気質と付き合っていけるようになっただけ。
わたしと同じ敏感気質の次女
今の私の家族は、同じように敏感だったりアレルギーだったり、みんななにかしら持っています。
けれど、次女の敏感さは特別にするどい。
ほぼ私と同じものを同じように感じているようなのです。
そのことがあって、
この敏感さは普通の人が感じている感覚とは違うのだということに、はっきりと気がつく きっかけになりました。
私も次女も喘息を持っています。
私は、朝ベランダ側のまどをあけて外の空気を吸ったときに、
『今日の空気はぜんそくが出やすいな。』
とか、
『今日は洗濯物を外に干すのはやめておこう』と感覚的に感じることがあります。
そんな日は次女に
『念のためにマスク持ってってね!』とか、
『ぜんそくの薬持っててね!』と声をかけるんです。
それは、長い間じぶんの喘息と付き合ってきた経験から学んだ感覚なんだと思っていました。
だけど、次女もまた、同じ感覚を持っていて驚きました。
私が声をかける前に、言うのです。
『今日は念のためにマスク持ってくわ。』と。
『今日の夜はぜんそくが出そうだから寝る前に薬しとくわ。』と。
3歳の頃、はじめて突然のぜんそく発作から救急車を呼び、緊急入院となった次女。
いまでも定期的に受診して予防薬と発作時の薬をもらっています。
けれど、私自身と同じように発作のおきる予兆が自分でわかるようなのです。
そのおかげで、早めに対処できていて、発作までいくことはなくなりました。
こんなこともありました。
先日、長女と次女をつれて初めてのクリニックに行った時のことです。
学校から眼科の再検査のお知らせをもらってきたけれど、行きつけのクリニックがなくて、検索から、クチコミのよかったクリニックへ行ってみたのです。
駅近くのビル中に新しくできたばかりのおしゃれで綺麗なクリニックでした。
自動扉が開いた瞬間、長女は『わぁ〜♡』と目をキラキラさせるほどおしゃれな待合室。
次女はというと、ドアが開いた瞬間に表情がこわばりました。
でも何も言いません。
実は私も、新しくできたばかりの施設には、独特のにおいを感じます。
息をしていても息苦しい感じがします。
できるだけ早く診察を終わらせて外の空気が吸いたい!!!
10分もしないうちに頭痛が始まる予感がします、、、
でも大人なので、表情には出しません。
できるだけ、鼻からではなく口から息をして耐えます、、、、。
次女も、においのことは一言も口に出しません。
この歳でも、においのことを言うと失礼だということや、大人を困らせると知っているからでしょう。
バッグの中にマスクを探したけれど、持ってきていません。
私は飴玉を、次女の口へそっと入れました。
いつもよりソワソワ落ち着かない様子の次女。
絵本を読もうか?と言ってみたけど、要らないと。
長女の診察を終えるまで、結構長い時間かかりました。
支払いを終えてクリニックから出て、エレベーターの扉が閉まったところで次女と二人して深い深い深呼吸をしました。
『よく頑張ったな!』
と私が次女の頭を撫ぜると、
長女が不思議そうな顔をします。
『???え?診察受けたの私やのに、なんで次女ほめられてるん??めちゃめちゃ落ち着きなかったやん!』と。
私:『新しいにおいがな。苦しかったけど、何も言わずに耐えたな。』
次女:『だってクサイとか言ったら失礼やろ?あ"〜〜苦しかった!!なんで?なんで苦しいってわかったん?』
私:『ママも苦しかったー。限界やった!』
そんな私たちの会話に、長女が言った言葉に本気でおどろいたんです。
長女:クサイって?何が?
あのクリニックが??
、、、、、!!!??
“快” か “不快” かではなく、自分たちにしか認識できないなにか
その時に初めて、わかったんです。
自分は、周りの人が不快に思わないような何か(例えば匂い)に、自分だけが不快だと反応してしまうのだとおもっていたんです。
匂い自体は、誰もがそこにあると認識しているものだと。
だけど、私や次女が、耐えられないほどの不快で苦しい匂いと思っていたものが、長女にはどの匂いのことかわからなかったのです。
新しい匂いってなに?
くさいも、なにも、、、匂いなんてなかったよ、と。
そんなことが重なるうちに、自分の敏感さへの考えが違っていたことをやっと自分自身が知ったのです。
小さい頃に自分が感じていた、『我慢がたりない自分』も『大げさに反応しすぎる自分』も、本当は違ったんだということ。
誰もが我慢できる小さなことを、我慢できない弱くて大げさな自分ではなかったということ。
我慢がたりなかったのではなく、
ほかの人より多くのことを感じとれる能力があるということなのかもしれない。
この敏感な気質はマイナスではなくプラスにもなり得る。
プラスに生かしていくこともきっとできる。
自分の弱点と思って、隠したり、周りに迷惑をかけていると罪悪感を感じる必要なんてなかったんだって。
周りにわかってくれる人がいるだけで
私は子どもの頃に、自分の感覚を理解してくれる人がいない環境だった。
次女は同じ敏感な気質でも、環境が違う。
身近に私という同じ感覚を持っている人がいて、その感覚を認めてあげることができる。
それだけで、きっと世界が生きやすいのではないか、、、
自分のありのままを受け入れることができるのではないか、、、
そう思うのです。
だから、もしいま敏感な子を育てているなら、
『めんどうな子』と思わずに、責めずに、
もしその敏感さが理解できなくても、ただ事実として認めてあげてほしいなと思います。
それだけできっと、敏感な子は生きやすくなるのではないかな。
この記事もオススメ
最後まで読んでいただきありがとうございました。
KAKA