でこぼこーど

自己探求する主婦の子育てと愛犬介護の記録

トラウマは手放せる?過去は見る角度によって変わる!トラウマを超えてゆけ!

トラウマを知る
トラウマ感覚との再会

ドラマでも、映画でも、すぐに感情移入してしまうタチです、、、。

 

皆さんはどうですか??

 

感動のシーンでもらい泣きし、、、。
つらい境遇に『めっちゃわかるわ〜』って共感して、、、。

 

でもこれ、あくまで客観的なものだとちゃんと自覚しています。

 

ドラマの中の主人公の気持ちを考えたら、泣けるわ〜、、、、って感じ。

 

その人の気持ちを考えるといたたまれない、、、とか、あ~よかったね~感動したよ~、、、って、これは自分自身の感情ではなくて、ただただ共感する感覚でしかない。と、自分で認識できます。

 

ですよね??

 

それが、
あることに対してだけ、
客観的にではなく、
自分の感覚として、
息もできないくらい苦しい、、、こわい、、、
動悸がとまらない
、、、

と、感じている自分に気がつきました。

 

どうして、、、??

これって、わたしのトラウマなのかも、、、??

そう気づいてしまいました。

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あの頃の自分として主観的に再体験してしまう恐怖

前回の記事でも書いたけど、最近韓ドラにハマってます。で、手当たり次第にみまくってる毎日です。

だから、ハードアクションから、人間ドラマ、ラブコメ、サスペンス、ジャンル問わずなんでもござれ〜です。

 

そしたら、あるドラマで、自分のトラウマ感覚と再会してしまいました。

 

そのドラマは、幼ない頃から何年間もお互いを大切に想い合う純愛のストーリーと、サイコ・サスペンス的な内容が交錯するという異色のドラマ。
主人公の父親が、なんと連続殺人鬼ってゆ〜Σ(゚д゚lll)いや!どんなドラマ??!

 

ちなみに、ワタシのトラウマ的反応が発動するのは、もちろん殺人シーンとかではないんです、、、。そこは、ちゃんと客観的にドラマとして見れるんです。
ワタシが苦しくなるのは、決まって次のようなシーンなのです。

 

子供たちが、食卓をかこみながら、お父さんの機嫌とか、言動とか、視線の動きとか、、、そのひとつひとつに気を配って緊張している。父の機嫌を損ねちゃいけない、、、と、顔色をうかがって、ビクビクしている。怯えている。

 張りつめた空気。

そんなシーンで、わたしも、息がうまく吸えなくなって、苦しくなって一緒に息とめてみてしまうってゆ~笑笑

 :(;゙゚'ω゚'):

 

威圧的な視線。
沈黙。
無言の圧力。
読み間違ってはいけない重い空気。
精神的に威圧されて支配されてる感じわかるかな???いや、わからんか、、、(^^;


とにかく、そんなシーンを見ているときに、心臓がドッキドキして、息が苦しくて、見ていられないくらい心がざわざわして、、、。
もう、どうにもドラマとして客観的に見れなくなるんです。
こわくて、不安でたまらない気持ちを、まるで自分のことのように再体験してしまうのです。

 

念のため補足しておくと、うちの父親は暴力も振るわないし、もちろん殺人鬼でもないし、犯罪者でもありません、、、。ただ、過干渉で抑圧的、威圧的、、、とにかく押さえつける圧が強いのです。しかも、感情の起伏が激しくて、突然キレて大声で怒鳴ることがよくありました。
子供心に、ただただ『こわい』と思ってました。

 

そんなあのころ感じていたような心の反応がおきてしまうんです。

ドラマを見ながら、あかん!!マジで苦しい!!これ、自分の父親に見える、、、((((;゚Д゚))))
、、、と言うワタシを見て、最初笑ってたダンナさん。

途中から、「大丈夫か?このドラマみるのやめる???」って気遣ってくれるくらい、どうしても客観的にみれない自分がいました。

 

こんな感じははじめてで(;´・ω・)

 あぁ、、、
これトラウマなんだなぁ。

まだ、ちゃんと昇華できてないんだな。

潜在意識の奥のほうでは、まだこのトラウマをずっと抱えてたんだ、、、と知りました。

 

今の自分として客観的に過去の状況を観察してみる

映画を見ているように、
客観的に、過去を観察してみる。

 

過去の幼い自分の中に同化して体感するんじゃなくて、今の大人の自分として、小さな過去の自分を見守る気持ちで過去を観察してみる。

 

そうすると、もうあの頃の無力で幼い自分じゃないことがわかる。

 

今の私なら
自分を守ってあげることができる。

 

今の私には
父親の『親』としての幼さや
『大人』として不完全な弱さが見える。

 

子どもの頃は
理由もなく
意味もなく
ただ
逆らっちゃいけない。
怒らせちゃいけない。
従わなくちゃいけない。
そう感じてた。

 

必死に顔色をうかがって空気を読んでいた過去のワタシは、環境に適応していただけ。
それ以外の方法を知らなかっただけ。

 

ドラマをみて、あのどうしようもない逃げられない不安や恐怖の感覚を、あの頃の幼い自分に戻ったように体験してみて思った。

  

こんなに怖かったんや。
こんなに不安やったんや。
無力感をイヤというほど感じたんだね。

 

突然、逆鱗にふれて怒鳴られる、、、
なんどもそんな理解を超えた原因と結果の波にのまれているうちに、ただ思考を鈍くして、状況から対処するパターンを覚えこんだ。

 

心を閉ざして、感覚を鈍くして、、、常に支配されている無力感の中に閉じこもっているほうが安全だと、無意識に環境へと適応した結果だった。

 

そりゃ、小さな身体で、その環境しか知らなくて、自分には従うしかできないって思って当然だ。それは事実なんだから、、、。


親も家庭も選べない。
変えることなんかできない。
だから、
適応するしかなかったよ。
ほかに方法は無かったよ。
間違ってなんかなかったよ。

 

あの頃のワタシは
自分の心を守るために
心を閉じておくことが最善だった。

 

よく頑張ったね。
ちいさな私。

 

でももう、無力な自分じゃないよ。
今のワタシなら自分の心を守ってあげられる。

 

だからもう、
そのトラウマは消しちゃっていいよ。

もう手放してもいいよ。

、、、そう感じた。

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今だから見えるもうひとつの真実 

あの頃、絶対的な恐怖と支配の象徴にみえた父は、今の大人になったワタシからみると、別の姿が見える。

 

そこには、もうひとつの真実の父の姿がある。

それは、
感情のコントロールが下手くそで
いつまでも子供っぽい
未熟さを残した父の姿。

 

少し未熟で歪んではいたけれど、、、
父の感情の根底にあったのは、
家族への執着や愛だった。

少なくとも、悪意や家族の心を傷つけようという意図はなかったんだろうな、、、と理解することができる。

 

だから、今のワタシが過去にこだわる理由も、いつまでもこの感情に縛られる必要もないんだとわかる。

 

これでやっと本当に、このトラウマは昇華できるのかもしれないな、、、。

 

自分の見る角度が変わると、過去も変わる。その意味は、、、

そういうことだったのか、、、、。

過去は変えられるって言葉の意味が、やっと理解できた気がした。

 

本やブログや動画で
何度も何度も聞いたことがある
過去は書き換えられるとか、
真実はひとつではないということの意味、、、

 

自分の見る角度が変わると
過去も変わる言うことの意味。

 

記憶の中の過去の出来事
ただひとつの事実

事実は変わらない、
客観的なもの。
ただひとつのもの。

 

だけど、真実は
ひとつとは限らない。

 

真実というのは、
主観的なものでしかない。
だから見る人によっていくつも存在する。

 

子どもの頃の自分が見た真実。

今のおとなの自分から見た真実。

 

どちらも真実だ。
みる角度によって
変わるんだ。

 

だからトラウマは手放せる
みる角度によって、過去は変わる
事実は変わらなくても、真実は変えられる

そういうことだ。

 

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