でこぼこーど

自己探求する主婦の子育てと愛犬介護の記録

愛犬の最期を看取れなかったことで自分を責めないで。それはきっと愛犬からの愛のしるし。

愛犬の最期



愛犬は、別れの時を知っている?

お別れの日
お別れのタイミング
すべて自分で決めていたの?

 

愛犬との別れの時
不思議なことがいくつもありました。

私がいちばん恐れていたのは、ひとりで旅立たせること

老犬介護中の私は
ほんの少しの時間でも
ひとりきりで留守番させる時間が不安で。

 

もともと専業主婦で
子育てに専念していたわけなので。
共働きの家庭よりは
家に居られる時間は圧倒的に多い。

 

それでも
自分の娯楽的な予定をいっさい入れなくても
買い物
下の子の習い事の送り迎え
小学校の行事
中学校の行事

 

次女はまだ、送り迎えなしにはまだまだひとりではどこにも危なくて行かせられない。

 

送迎や付き添いのために
ドキドキハラハラしながら家を出たり入ったり、、、

 

老犬介護中の愛犬をひとりにできなくて、受験生の娘に、つきっきりのお世話を交代してもらって自転車をかっ飛ばす毎日でした。

 

最期の瞬間を、ひとりきりでさみしく迎えさせることだけはしたくない。

その一心で。

 

ちゃんと最後のお別れができないと
私はずっとずっと立ち直れずに引きずってしまう。
ちゃんと見送りたい。
最期を看取ってあげたい。

 

私がいちばん恐れていたのは
誰も家にいない時に
愛犬が一人で天国へ旅立ってしまうことでした。

 

 愛犬はひとりきりの時を選んで旅立つ

そんな私に、友達が伝えてくれたことは
どれだけそばにずっと付き添っていても最期の瞬間にそばにいてあげられないこともあるってことでした。

 

誰でも
愛犬の最期は
そばで看取ってやりたいと思う。

 

もしひとりきりで旅立たせてしまったら、、、
どうしようもないこととわかっていても
きっと自分を責めて後悔してしまうと思う。

 

だけど
その友達の知り合いで
愛犬を看病していた人のほとんどが
愛犬の最期に立ち会えなかったというのです。

 

どれだけつきっきりで看病していても
最期の瞬間は誰もそばにいない時に亡くなったのだと教えてくれました。

 

ある子は、ちょっと新聞を取りに行ったわずかな時間に、、、。

 

ある子は、飼い主さんがトイレにたったその間に、、、。

 

ある子は、食器をかたずけに台所へ行っているときに、、、。

 

みんな
つきっきりで看病していたのにです。

 

ほんの少し離れたそのときに
ひとりで旅立ったそうなのです。

 

まるで
ひとりになるタイミングを
頑張って待っていたかのようだったと。

 

皆がそうではないけれど
動物には
亡くなる最期の瞬間を
ひとりで迎える子も多いこと。

 

それは
最期の瞬間を
自分で決めているように見えると。

 

苦しむ最期の姿を
飼い主に見せたくない子もたくさんいるから。

 

もし
最期の時にそばにいてあげられなくても
そのことで自分を責めたらあかんよと。

 

その話を聞いて、どんな最期になっても、受け入れてあげないといけないな、、、と思う反面、、、

 

でもやっぱり
飼い主側の気持ちとしては
なんでそんなさみしい選択をしちゃうのかな〜って理解できなくて。

 

赤ちゃんの頃から
我が子同然に育ててきて。

 

家族として沢山の時間を一緒に過ごしてきて。

 

最期の時ぐらいもっといっぱい甘えてほしい。

最期の時はそばにいて欲しいって思ってくれていると信じたい。

 

その時のわたしには
理解するのは難しい、、、
というのが本音でした。

 

身勝手なお願いを叶えてくれた愛犬

老犬介護をする毎日の中で
沢山の2人きりの時間があった私は
愛犬にこんな話を何度もしました。

 

苦しんでいる姿を見るのは
ママもとってもつらい。

だけど一人ぼっちで苦しませる方がもっとつらい。

だから何もできないけどそばにいさせてほしい。

 

とか。

 

寝たきりになって
お世話する毎日はすごく大変だけど
こんなふうに
マロにしてあげられることが沢山あって
すごく嬉しくて幸せだよっ。

 

って。

  

看病する夜に、調子が悪い日には朝までもたないかもしれないと不安になる日もあって、、、。

 

そんな日はマロを抱いて、家族の枕元へ行ってみんなのニオイを嗅がせてあげた。
これが最期になるかもしれないと思ったら、マロだってちゃんとお別れの挨拶がしたいだろうって思って、、、。

 

そんな時、長女だけは気にしていつも眠りが浅かったのか、必ず目を覚まして、

起き上がって声をかけてマロを抱きしめてくれた。

 

死の間際におきた不思議なこと

本当に、マロが天国へ旅立った日。

 

予感ではなく、今日なんだとわかった。

 

だからこどもたちが寝る前に
後悔しないように心の準備をさせた。

 

そしてみんな寝静まって
私とマロの2人きりになったころから
急激に容態が悪化していった。

 

苦しむ姿を見ているのが辛くて

お願い!もう、連れて行ってあげて、、、と何度も神様に祈った。

 

 

マロに何度も声をかけ続けた。

もう頑張らなくても
楽になっていいんだよ。
家族のことは心配しなくても大丈夫。
苦しいのも
痛いのも
もう家族のために我慢しなくていいよ。

 マーがいなくなっても
泣いてばっかりしないで
ママちゃんと頑張るから。
またマロに逢えるまで
ちゃんとがんばるからね。と。

 

 

それまで苦しそうにしていたから
抱くより自分の楽な体勢でいられるようにと
そばにいて声をかけていた。
でもどうしても
最期に抱きしめたくてたまらなかった。

 

 

抱いたら苦しいかもしれないけど抱っこしてもいい?と、膝枕をして、私の座っている足の間へ寝かせた。

 

そうしたら、さっきまで苦しそうに痛そうにしていたのが嘘みたいに静かに落ち着いて。体から強張った力が抜けて。

 

それは
もうこれで旅立ってもいいんだねって
ホッと安心したような
そんな感じだったように思う。

 

足の間に抱きながら
身体をなぜながら
ずっとずっとマロに話しかけていた。

 

死ぬことは怖くないんだよってこと。

 

天国に行ったら
痛いのも苦しいのもなくなるし
いっぱい自分の足で走れるし
美味しいものもまたたくさん食べられるよ。

 

天国であーちゃん(可愛がってくれたおばあちゃん)もマーちゃんのこと待ってるよ。

 

天国では
ここより時間がすぎるのが早いから
すぐにまたみんなと逢えるよ。

 

だから、安心していっておいで。
天国で待ってってね。
また会おうね。って。

 

 

しばらくそんな静かな時間がすぎた。

喉が渇いているかな、、、
さっきまでは
水を飲ませるとそのあと苦しそうになるから
水を少しずつあげていて。

 

でもさいごにもっとお水を飲みたいかな?
そう思ったのに
ボトルに入れていた経口補水液がなくなってしまって。

 

お水取りに行ってくるねと声をかけてそっと膝から頭を下ろした。

 

 

部屋は豆球の常夜灯だけの灯で、とても暗くて。

 

キッチンの電気のスイッチをいれた。

 

パチンと一瞬光って切れた。

 

こんな時に電気がきれるなんて、、、と、冷蔵庫の微かな灯りの中でボトルへ補水液を入れた。

 

マロのそばに戻って
水を飲ませるために手元灯のスイッチを入れる。

 

こちらも、チカッと一瞬光って切れた

 

涙が溢れた。
だって、この手元灯は昨日長女が学校の授業で作ったばかりで。
夜の看病で使う?とくれたばかりのものだったから。

 

電池が切れているわけがないのだから。

 

 

ひとりきりで旅立つのは愛犬からの愛のしるし

マロはきっと
苦しんでいる自分の最後の姿を
見られたくはないんだなと察した。

 

私が
最後のときはそばにいたいと
何度もお願いしたから
きっと私の願いを叶えてくれたんだ。

 

だけど本当は
その姿を見せたくはなかったのかもしれない。

 

 

長女のことが頭をよぎる、、、

最期の時とわかっていたら
きっとそばにいたかったと
起こしてほしかったと思うだろう、、、。

 

 

だけど、、、
苦しんでいるマロの姿を
見せられないと思った。

 

最期の苦しむ姿なんて
見なくていいとおもった。

 

愛する子の苦しむ姿を
見せたくないと、、、。

 

元気だった楽しい時の記憶を
さいごに覚えていてほしいと。

 

自分は側に居たいと言いながら勝手だけれど、、、、。

 

だから、、、

きっと1人のときに旅立つことを選んだ子たちは、同じように思っていたにちがいないって思うんです。

 

 

大好きな家族に
最期の苦しむ姿を見せずに
元気だったころの自分との思い出を持っていてほしいと望んだんだって。

 

 

それは、
彼らからの愛情なんだなって。

 

 

それから、マロが天国へ旅立つときは、本当に安らかに息を引き取った。

まるでサイレントの映画のように、音のないまま、声のないまま、何度か口開けて、

わん、わん、わん、

わん、わん、わん、わん、

と、声を出さずに鳴いた。

 

しばらく抱きしめたあと
まだ、マロの温もりを感じられるるうちに
抱かせてあげたいと
長女を起こしにいった。

 

まだ温かいマロを抱いて
まるで寝ているようにしか見えない
安らかな顔を見ながら
長女もちゃんとお別れすることができた。

 

そしてそのあと、パパと次女も。

 

きっと
ちゃんと聞こえていたよね。
みんなにお別れをさせてくれてありがとう。

 

 

そのあと、キッチンの電気も、手元灯も、もちろんすぐにちゃんとついて、やっぱり、マロが電気をつけないようにしたんだなってことがわかった。

 

 

愛犬の最期を看取ってあげられなかったと後悔している人へ伝えたい

友達から、ひとりきりの時を選んで旅立った子達の話を聞いたときは、そんな他人行儀なことされたら寂しい!って思ったし、理解できない気持ちだった。

 

だけど今ならわかる。
きっとそんなことを超えるくらいの
愛犬たちの愛情なんだなって。

 

だから
愛犬をそばで看取ってあげられなかった人も
一人で旅立たせたことを
後悔して自分を責めている人にも
伝えたい。

 

それは、
愛犬からの愛だったんだってこと。

 

ちゃんと飼い主さんの愛情は届いているし
愛犬たちはきっと
その愛情を受け取ってくれていること。

 

それを超える大きな感謝と愛情を
愛犬たちは持っているんだってことも。

 

 

悲しんだり自分を責めることはきっと
愛犬たちが望んでいないことだと。

 

最期の姿ではなく
一緒に暮らした楽しかったことや
元気な姿をいちばんに心にのこして
思い出して欲しいんだってこと。

 

もし、苦しんでいる人がいたらこのことが伝わるといいな、、、。

 

KAKA

 

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