2020年2月4日は立春でしたね。
立春は、旧暦では元旦にあたる1年の始まりの日なのだとか。
私も、気持ち新たに、新しい自分のスタートがきれた気がしています。
捨てることへの罪悪感
今日は、昨日までの自分と何が変わったんだろう??
すごく不思議なんだけど、今日突然、『捨てる』ことがとても簡単にできるようになりました。
苦手だった「捨てる』ができるようになっていた。
昨日までの私はというと、捨てたい。断捨離しなくちゃ。という気持ちはあったけど、「もったいない」という気持ちも同じだけあって。
自分にはもう必要ない物たちを、自分の元から、旅立たせることは平気。
だけど、まだ使える新しいものや綺麗なものを捨ててしまうことに抵抗がすごくあって、罪悪感がひどくあった。
買ったものを、まだ使えるものを捨てるのが、資源の無駄遣いの気がして苦しかった。
無料ででも、必要な誰かの手元に渡れば、罪悪感をもたずに済んだ。
二束三文でほとんど儲けにならなくても、誰かの役に立つなら捨てるよりメルカリで売るほうが気が楽だった。
そんな具合だから、断捨離も思うように進まない。メルカリに出せるものはチマチマと出品して。綺麗なオモチャはあそび盛りの友達の妹か公共の施設にもらってもらうために、洗ったりアルコールで綺麗に拭いて譲って、、、。
メルカリで売ることも、寄付することもできないものは、もったいないと思う気持ちをなんとか乗り越えてエイって処分していたのです。
めちゃめちゃ時間かかります。
そのくらい、私は捨てることが苦手で。
もったいないという気持ちが強くて。
捨てたいけど苦しい。苦しいけど捨てたい!みたいな矛盾を抱えている人でした。
捨てないとダメ!!と必死に自分を奮い立たせて捨てていたんですよね。
それなのに、、、
あんなに苦手だった『捨てる』がすごく簡単に感じた今日。
自分でも不思議なくらいです。
メルカリに出品していたものも、面倒になって全部捨ててしまおう!と、突然スイッチが切り替わったように出品停止にして、ぜーんぶゴミ袋にポイポイ投げ込みました(о´∀`о)
あースッキリした!!!
なぜか、全く罪悪感を感じずに、迷わずに、スッキリした気持ちで捨てれるようになったのでした。
罪悪感や執着の原因は固定概念
昨日までの捨てられなかった自分。
もったいない!も、
罪悪感も、
捨てないとダメ!も、
それも全部、執着だったんだと知りました。
潜在意識の中に自分では気が付いていない固定概念があったということ。
たくさんの身に着けた固定概念が、お互いに矛盾しあって、自分を苦しめていたんだってこと。
すごく実感しました。
もったいないからと本当に欲しいものを買えず。
もったいないから必要ないものも捨てられない。
買うことに罪悪感を感じ、
買ったのに使わなかったことに罪悪感を感じ、
まだ使えるものを捨てる自分に罪悪感を感じ、
本当はいらないものを捨てられずにいる。
本当は必要ないその物たちを見ると気分が滅入るから、
罪悪感を思い出すから、
見えない奥のほうへ収納して存在することさえも忘れてしまう。
まるで、今までの私の心の中みたい…
(; ・`д・´))!)
こわっ!!!
部屋の状態と心の状態はつながっている
いらないもの(いらない気持ち)
見たくないもの(見たくない気持ち)
罪悪感を感じるもの(罪悪感を感じる気持ち)
ぜんぶ奥のほうの見えない場所にしまいこんで、きれいに片付いた部屋でお茶飲んでる自分の姿、、、
想像しただけでゾッとする。
部屋の状態と、心の状態はつながっているとどこかで聞いたことがあるけど、本当かもしれない。
目に見える場所だけきれいに掃除して、
奥のほうへいらないものをしまい込んでみないふりをしていた自分に気づきました。
今まで、ものは捨てて手放しても、
執着する気持ちは手放せてなかったんだと思い知りました。
なぜかはわからないけれど、その執着を手放すことができたと感じた今日。
新しい自分で、新しいスタートを切ることができて、心が軽くなったと感じています。
罪悪感や手放すことについて気づいたことを書いています。
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なぜ手放すことが大切なのか?
呼吸をするように自然に受け取ることと手放すことが必要な理由について書いています。
KAKA