最近、10年前に他界した義母のことを思い出すことが多かったので、義母のことを書きたくなりました。
義母との想い出はキッチンに
台所で、お料理する義母をみるのが大好きでした。
とっても料理上手で、手料理でおもてなしするのが大好きなひとでした。
手際よく、どんどん出来上がってゆく義母のお料理は、まるで手品みたいで、見ているだけでワクワクしたのを思い出します。
お料理上手な人には、勝手に横から手を出さないことが最大の敬意な気がしていたから、、、。
洗い物や、洗ったり切ったり下ごしらえを手伝ったりはするけれど、味付けやお料理には絶対に手を出さなかった私。
いつも近くに張り付いて、お料理をみている私に、いろんな話をしてくれました。
ある時は、お料理のコツ。
それから、子供たち(今のダンナさん)の小さいころの面白ばなし。
義母が小さかった頃の田舎での暮らし
義父との出会いのエピソード、、、
お料理のあいまに、ちいさな味見を、ポンって私の口にほうりこんでくれたりした。
思い出すと、それが義母とのいちばんの思い出。幸せの記憶。
母の味 は愛情の記憶?
自分の生まれ育った家族や環境に、不満や葛藤を抱えることの多かった私だけれど、今は少し感じ方が変わってきている。
自分のなかで消化された、、、昇華された⁇幼い頃の記憶。
やっと、少しづつ自分自身の道を歩き始めたと思うこのごろ、、、。
いままで、見えなかった、見ようとしていなかった、わたしの幼少期の思い出のなかにある幸せのかけらに気がつくことがある。
例えば、以前はあまり外食にも連れて行ってもらったことがないとか、旅行や遊園地なんかにも行った記憶がないことばかりに意識がいきがちだった。
そのうらに隠れていた小さな幸せのかけらに気がついていなかった。
それは、
家庭の味。
懐かしい味。
そんな、懐かしい味があることって、すごく幸せな記憶だったんだな~って感じるようになった。
だいたいが、ちゃんとした料理名のない、オリジナルの料理だったりする。
だから、家以外で食べられる場所がない。
その味を再現しようと、イメージして作っている自分に気がつく。
この、味の記憶って、すごくすごく贅沢で幸せな、愛情の記憶だったんだな~。
あたりまえだと思っていた、母の手料理。
それは愛情の記憶だったんだ、、、。
母の味は、やっぱり、わたしのお料理に受け継がれている。
私は、あんまり料理好きでもないし(めんどくさがり)、手際も悪いし、料理に自信があるわけじゃないけど、味覚には割と自信がある。
人に料理をふるまうのはできれば遠慮したいけど、なぜかよく料理の味をほめられる。
これは、母のおかげなのかもしれないな。
受け継いでゆく味の記憶
娘たちが、おいしい!とか好き♡とか言ってくれるメニュ~の半分は、ちゃんとした料理名のない物だったりする。
ハンバーグとかカレーとかも好きだけど、よくリクエストされるのは「〇〇と▲▲▲の甘辛いやつ!」とか、「あれとこれのカリカリのやつ」とか呼んでいる、名前のない謎のオリジナル料理だったりする。
これがうけつがれる我が家の味になってゆくのかな、、、。
その他に、実母からうけついだ味があり。
(娘たちが、スーさんの〇〇〇とよぶ料理)
そして、義母からうけついだ味があり。
(娘たちが、あーちゃんの▲▲▲とよぶ料理)
義母の手料理はもう食べられないけど。
義母の味は、わたしがこれからも守っていこう。
これが、ダンナさんの幸せの記憶だから。
過去記事紹介
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HSP気質のわたしが、幼少期から感じてきた家族への思いを記事にしています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
KAKA